彬子女王殿下に、日本美術コレクターのジョー・プライス氏が伝えた「日本人が忘れてはならないこと」
「めでたくプライス・コレクションの調査」へ
5年間の留学中、私は何度か体調を崩した。なかでも2006年の後半は、研究活動と論文執筆が思うようにいかず、家庭内の問題も重なって、精神的にかなり参っていた。夜眠れないことや、なんでもないときにぽろぽろと涙が出てしまったりすることもあった。 その様子をみていた〈指導教授の〉ジェシカは「しばらく論文執筆から離れて休養しなさい」と休学を勧めてくれた。そこで私は思い切って1学期間大学を休むことにし、2カ月を日本で、1カ月をいままで足をのばしていなかったアメリカでの調査に充てることにしたのだった。 日本美術を所蔵するアメリカの美術館・博物館は数多い。ひと月かけて、シアトル、ポートランド、サンフランシスコ、ハンフォード、ロサンゼルス、アリゾナを回り、日本美術コレクションの調査をさせていただいた。 ヨーロッパとはまた違った蒐集の歴史や傾向があり、とても勉強になった旅だった。この旅の途中でお世話になったのが、プライスご夫妻なのである。 私の学習院時代の恩師である小林忠先生からは、19世紀の日本美術コレクションを考えるうえで、現代の外国における日本美術コレクションを知るのは有意義であるからと、プライス邸に行くことを以前から勧められていた。 そして、〈ロンドン大学SOASで当時博士課程に在籍していた友人の〉シンヤさんは以前からプライスご夫妻と親しいということで、ご夫妻が来日されたときに紹介をしてもらった。 ご夫妻は快く訪問を承諾してくださり、私はめでたくプライス・コレクションの調査をさせていただくことになったのである。
江戸時代の絵画を鑑賞するときに大切なのは「自然光でみる」こと
プライス邸訪問は旅の後半。冬でもさんさんと太陽の光が降り注ぐ西海岸間を過ごしていたので、ロサンゼルスに着くころには随分と元気になっていた。 プライスご夫妻は、コレクションをみに訪れる研究者や学生のために、ご自宅の近くに専用のコンドミニアムをもっておられる。そこに1週間ほど滞在させていただき、コレクション調査はもちろんのこと、近郊の美術館をご案内いただいたり、おいしいものを食べに連れていっていただいたりした。 この訪問がきっかけで、プライスご夫妻とはとても仲良くなり、来日されるときは毎回ご連絡をいただき、私の企画するシンポジウムなどにご協力いただいたりもしている。 日本美術についてジョーさんから教わったことはたくさんあるが、そのなかで私の心に残るいくつかのお話をご紹介したいと思う。 プライス邸には、作品を鑑賞するための特別の部屋がある。いつもその部屋で調査をさせていただくのだが、調査ができるのは太陽が出ているあいだだけと決まっている。陽が落ちたからといって、電気をつけて調査を続行するのは許してくださらない。 それは、江戸時代の絵画は、蛍光灯のような人工光の下で鑑賞することを想定されていないからである。画師は電気の光でみるための作品を描いたわけではない。だから、自然光以外の光で江戸時代の作品をジャッジするのはフェアではない。 そして、忘れてはいけないのは、「画師が想定した環境下で作品をみなければ、作品の実力や、当時それを鑑賞した人びとの感動を味わうことができない」というジョーさんの持論なのである。 プライス邸でその話を聞いてから作品をみせていただくと、作品がまったく違ってみえるようになる。屛風は同じ場所で動かないのに、刻一刻と印象が変わりつづける。 北向きの窓から間接的に入ってくる光。その量や角度の違いによって雰囲気ががらりと変わる。ひとたびその変化を味わうと、自然と1つの作品を鑑賞する時間が長くなる。みる場所を変えつつ、作品に対峙しているうち、絵画からさまざまな物語があふれ出す。