新聞・テレビはいつまで「偽りの中立」を続けるのか…「報道の自由」を自ら手放したマスコミの末路
■なぜ汚職を「政治とカネ」と言い換えたのか こうした「偽の中立」という不誠実なスタンスに加えて、政治報道における言葉の使い方も、日本では年々、国民に対して不誠実になっているように感じます。 私が子どもの頃、つまり1970年代後半から1980年代前半には、政治家の私利私欲に絡む不正事件が発覚すれば、「汚職」という言葉が使われていた記憶があります。 新村出編『広辞苑』第七版(岩波書店)によれば、「汚職」という日本語の意味は、次のようなものでした。 ---------- 「職権や地位を濫用して、賄賂を取るなどの不正な行為をすること。職をけがすこと」(p.414) ---------- 文字を見ればわかるように、汚職とは簡潔明瞭に問題の悪質さを示す言葉で、公職を汚す行いをした政治家は、即座に退場(役職辞任や議員辞職)するのが常でした。 ■汚職政治家たちが払った重い代償 例えば、1988年に発覚した「リクルート事件(高値が見込まれる未上場の不動産会社の未公開株が賄賂として自民党などの政治家に贈られた事件)」では、当時の竹下登首相や中曽根康弘元首相、安倍晋太郎自民党幹事長を含め大勢の自民党議員が未公開株の譲渡を受けていた事実が判明し、竹下内閣は総辞職に追い込まれました。 また、1992年に発覚した「東京佐川急便事件(首相となる前の竹下登が東京佐川急便社長の仲介で暴力団と繫がりを持った事件)」でも、東京佐川急便から五億円の政治献金を受けていた自民党副総裁の金丸信が、国会議員を辞職し、のちに逮捕されました。 このように、長く続いた自民党政権下でも、汚職の事実が確認されれば厳しい批判を受けて居場所がなくなり、政治家としての生命を断たれる場合が少なくありませんでした。 中には、田中角栄のように、「ロッキード事件(1976年に発覚した、米航空機会社ロッキードの旅客機受注をめぐる贈収賄事件)」で5億円の受託収賄罪などで逮捕された後も、地元選挙区への利益誘導が評価されたのか、その後も5回の衆院選で勝ち続けて国会議員の地位を保った例もありますが、多くの「汚職」案件は検察とジャーナリズムの「十字砲火」(異なる角度からの射撃で死角をなくす戦法の軍事用語)により、辞職や逮捕という「物の道理にかなった結末」を迎えていました。