「人が足りない」との声ばかり…建設業で若者が職人になりたがらない根本原因
一人親方=一人事業主と言えば聞こえはいいが、要はフリーランスの技能労働者である。常用雇用でも仕事量で給与が変動するのは非正規雇用のパート・アルバイトと同じだ。実力が付いて稼げるようになって独立するのであれば日給月給制でもいいかもしれないが、結婚し子育てできる生活基盤を整えなければならない若い頃から非正規雇用のような処遇では、国主導でいくら労務費の確保を図っても、若者の入職者を増やすのは難しいのではないか。
■高度経済成長期に現在の労働慣行が定着か 建設業界で、こうした労働慣行が定着したのは1960年代の高度経済成長期と考えられる。戦後復興で建築着工床面積は急激に増え、1964年度に年1万haに達したあと、わずか6年後の1970年度には年2万haを突破した。短期間に着工床面積を倍増できたのは、手間請負で受注量に合わせて容易に労働力を調達できるようになったからだろう。 それを裏付けるのが、建設許可業者1社あたりの建設就業者数の推移を表したグラフだ。
一般的に企業が事業規模を拡大し市場の寡占化が進むと、1社当たりの雇用者数は増えていくはずである。ゼネコンなどの元請け事業者も、かつては技能労働者を直接雇用していた時代もあったと聞くが、1960年代半ばから1社あたりの就業者数は急激に減少。元請け事業者は自ら技能労働者を抱えず、建設工事の受注量に応じて外部から労働力を調達する体制にシフトした。それによって建設業の重層下請け構造が形成されてきた。 1980年頃には1事業者当たりの就業者数は10人程度まで低下し、その状況は現在まで40年以上も変わっていない。それによって、どのような事態が生じたのか。建設技能労働者を育てられる企業が減り、業界全体で人材育成の機能が低下してしまった。
■職人を育てられなくなった 筆者の実家も1990年代後半に廃業するまで零細工務店を経営していたが、1980年頃までは3人の若者を住み込みで雇って育てていた。工務店が自ら大工を育て、彼らがいずれ独立し、次の世代を育てる。それぞれの専門工事業者が、自ら職人を育てることで持続可能な建設業が実現できていた。 しかし、1980年代に入って不動産バブルが発生すると、ゼネコンは不動産開発事業に乗り出し、1990年のバブル崩壊で大量の不良債権を抱えて経営難に陥り、人材を育てる余力が失われた。工務店も、ハウスメーカーやハウスビルダーとの競合による下請け化で職人を育てられなくなった。その結果、1990年代後半から29歳以下の若年就業者の比率は急激に減少し、2023年時点で建設就業者に占める割合は11.6%(全産業平均16.7%)となっている。
人材を育てられなくなった産業は衰退していくしかない。建設業の重層下請け構造を生み出したのは、一括請負方式で工事を受注するビジネスモデルが大きく影響している。果たして建設業は、ビジネスモデルを変革し、持続可能な産業へと生まれ変わることができるのだろうか。次回の記事では、その建設業で起こりつつある変化の兆しを見ながら、その可能性について考えてみる。
千葉 利宏 :ジャーナリスト