「教員はサービス業?」学校の先生達が抱える苦悩。学校の先生は何で勝負する?忘れられない疑問
教育のマニュアル化と公教育の市場化が進んだ昨今。学校はサービス業化し、教員は「使い捨て労働者」との声もあがるほど、学校現場にはさまざまな問題があふれています。教育研究者の鈴木大裕氏が上梓した『崩壊する日本の公教育』から一部抜粋・再構成し、教員たちが直面する問題を解説します。 【写真】『崩壊する日本の公教育』(鈴木大裕)では、日本の教育政策の問題を鋭く指摘する。 ■教員がサービス業のように扱われる そもそも、私たちは今、学校の教員が「先生」でありにくい世の中を生きている。教員がサービス業のように扱われ、「お客様を教育しなければならない」という難解なジレンマを抱えている。そして、教師としての仕事を守るなら、このジレンマの解決につながらない「働き方改革」はあり得ない。
このジレンマが内包するのは、教員のサービス労働者としてのアイデンティティと、教育者としてのアイデンティティの衝突に他ならない。それは「現職教員審議会」を立ち上げ、教員の働き方改革に関する緊急記者会見を開いた現職教員のこんな声に象徴されている。 「皆さんにわかっていただきたいのは、僕たち教員というのは自分たちの生活や権利のことだけを訴えたいのではありません。教員として、目の前の生徒や日本の未来というものに責任を持ちたい」
「もう一度僕たち教員に、授業者としての誇りを取り戻させてもらいたい。……一人間として最低限度の生活を営むための時間やゆとりを与えてもらいたい」 今日の教員は、生徒や保護者に口では「先生」と呼ばれつつも、時にはサービス業の店員のように扱われ、サービス業のようにお客様の言う通りにすれば、「もっと先生らしく」と求められる。 このような状況で、教員が搾取の実態や労働者としての権利を主張すれば、確かに世間の同情は集まり、労働条件は改善するだろう。
しかし、だからといって教育者としての教員のニーズが満たされるわけではなく、「お客様を教育しなければならない」というジレンマの解決にはならない。 もっと言えば、教員が労働者としての権利を主張すればするほど、教員と生徒・保護者間の「労働者」―「お客様」という関係性の縛りは逆に強くなるだろう。 保護者から、「先生だいぶ楽になったんでしょ?」「給料もたくさんもらえるようになったんでしょ?」と言われるようになれば、これまで以上に教員が「先生」になれない社会になる可能性の方が高いだろう。