「呪いですね」文学の恐ろしさを感じた『百年の孤独』が突きつける現実の世界 池澤夏樹と星野智幸が語る【第6回】
刊行後、途切れることなく読書界を賑わせ続けているガルシア=マルケスの代表作『百年の孤独』だが、刊行以来50年間、読破者がうなされたように語り続けるのはなぜなのか。本作に衝撃を受け、新聞社を辞めてガルシア=マルケスが執筆の本拠地としたメキシコ留学に旅立ってしまったという星野智幸さんと、日本で翻訳される前に英語で本作を読み、以来「追っかけ」のような読者になったという池澤夏樹さんが語り合った。 (全6回の第6回、構成・長瀬海) 池澤夏樹さん(撮影:新潮社写真部) *** 池澤 よく世界がカフカ的になったという言い方がされるでしょう。それと同じように、世界がガルシア=マルケス化しているという言い方もできると思います。だんだんとマジックの方がリアルになってくるというか。『族長の秋』の大統領とトランプ、プーチン、あるいはネタニヤフがそのまま重なってしまう世の中にすっかりなってしまいましたから。 星野 ほんとそうですよね。実は僕、今日その話を池澤さんとしたいと思ってきました。今回、『百年の孤独』を読み直して、ここに書かれていることって現在のことなんじゃないかと思ったんですよ。この作品にあらわれている孤独。寂しさじゃなくて、ただただ孤独だという感覚。それが今や世界の隅々に至るまで行き渡ってしまっている。都市部からそうじゃないところまで。暴動もあちこちで起きています。 作中でブエンディア大佐は32回も反乱を起こしたと言われます。最初のうちは彼の反乱にも理があったはずです。でも、32回もやっていると次第に理が消えていく。何のためにやっているのかわからなくなってしまう。虚無感に駆られて、最後は完全な世捨て人として世界に背を向けるじゃないですか。読みながらそのことにリアリティを感じたのは、今回が初めてでした。ブエンディア大佐にこんなに肩入れして読むことになろうとは、少し前じゃ考えられなかった。今まで『百年の孤独』は登場人物で読む小説じゃないと思っていたので、初めて作中人物を自己投影気味にとらえて読むという体験をしたんですよ。だから池澤さんがおっしゃった「世界はガルシア=マルケス化している」ということは痛切にわかります。 池澤 孤独とは何か。lonelinessじゃなくて、solitudeなんですよ。寂しいんじゃなくて孤絶なんです。それぞれがマコンドのように孤立している。他の地域や人々と繋がりがない。愛の不毛というといかにもだけど、そういった人間の孤独が書かれているんだと思います。つまり、いよいよ僕たちの世界もマコンド化してきたということですね。
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