学歴より「学習歴」、自己ベスト更新が超重要な訳 よい大学に入れば幸せな一生が送れるは幻想
長い人生の中で学校歴が占める割合はごくわずか
「人生100年時代とよく言われるが、100年学習時代が当たり前の世の中を作っていきたい」。そう話すのは、元京都芸術大学副学長(現在客員教授)で、アクティブラーニング・コーチングの第一人者の本間正人氏。本間氏は、「人生100年時代に必要なのは 最終学歴ではなく最新学習歴の更新だ」という。教育ジャーナリストの中曽根陽子氏が、このたび『100年学習時代』(BOW BOOKS)を上梓した本間氏にその意味を聞いた。 【図で見る】人生の中で学校教育の占める割合はほんのわずか 元京都芸術大学副学長の本間正人氏が、まず提示したのが下記の図。人生の中で学校教育の占める割合を表したものです。横軸は年齢。縦軸が時刻を表します。長方形に囲んだ部分は、人の人生の時間を表します。 縦軸の一番上が真夜中の0時、中央がお昼の12時、一番下が真夜中の24時で、学校に通うのは、だいたい8時半から15時くらいとして、色をつけた部分が、小学1年生から4年制大学まで通ったとした時の学校教育が占める時間を表しています。 しかし、実際は土曜日、日曜日、国民の祝日、さらに夏休み、冬休み、春休みがあるので、学校暦は、1年を52週でなく、35週で計算します。つまり、この箱の中は、かなりの隙間が空いています。 大学まで行ったとして22年間ですが、こうして図にしてみると、人の一生の中で、学校で過ごす時間は思いのほか少ないと感じるのではないでしょうか。 そして、縦に引かれた線は中学~大学の卒業年を表しており、これが最終学歴として、その人の履歴書やプロフィールにも書かれます。「全体の中のごく一部である22歳までに受けてきた教育だけが、過剰に注目されてきていた」と本間氏は話す。
最終学歴=学び終わりではない「最新学習歴」の更新が重要
しかし、今この短い期間に習得したことだけで、その先の長い人生を乗り切っていけるほど、社会は単純ではありません。 本間氏は、「もちろん、最終学歴は、文部科学省の学習指導要領に定められた所定の課程を経て、身に付けるべき知識、技能を修得したということの証明となり重要だが、『最終学歴』という言葉には、大きな違和感を覚える」と言い、人生100年で考えたとき、こんなにも早い時点で学ぶのを終わるというのは早すぎる。人生の中に「学び終わり」があってよいのか?と疑問を投げかけます。 そして、「最終学歴より最新学習歴の更新が大切」だと訴えます。 最近、リカレント教育やリスキリングが注目を集めています。学校を卒業してからも、スキルを取得していくことは、キャリアを重ねていくうえでも重要ですし、定年後の人生を豊かに生きるために学び直しをする人も増えています。でも、学習は、それだけではないと本間氏は言います。 「最初に示した図のように小さな箱にすぎない学校教育を終えた後にも学び続けることが大切だということ、すなわち、『最新学習歴の更新』の重要性を広めること、それが『人生100年学習時代』を通じて私が訴えたいことです。人生100年時代、誰もが学び続けるのが自然であると感じられるような、『100年学習人生』が普通になってほしいと、心から願っています」(本間氏) 最新学習歴という言葉には、「最終学歴」との対比の中で、いくつか重要な意味があります。 第一に、「最終」ではなく「最新」であるということ。もう一つは、「学歴」ではなく、「学習歴」であるということです。 他者との比較で新しいかどうかは関係なく、「自己ベストを更新すること」が最新の基準です。その人にとって初めてのことであれば「最新」の学習です。 人生のどの時期に「最新」であったとしても、誰かより早かったとか遅かったとか、他者と比べる必要はないのです。また、「学歴」が示すのは、冒頭で示した図のごく小さな一部であるのに対し、「学習歴」は外側の長方形、つまり、人生のすべてを指します。 「歴」というのは、その人にとっての記録、軌跡であり、学位や資格、段位、級位のように権威ある他者から評価・認定されるものに限りません。また、学歴とは、教育基本法の第1条に定められた学校を卒業、あるいは修了した場合に獲得できるものですが、「学習歴」は、人生の中の、ありとあらゆる学びを含みます。 英語の履歴書では、学歴を表すのに、Educational BackgroundあるいはEducational Historyといった表現を用います。ここには「最終」のニュアンスは存在せず、学びの可能性はつねに未来に開かれているというニュアンスがあります。 つまり、「最新学習歴」という概念は、社会人の学習を、いわゆるビジネススキルに直結したものに限定していないのです。