帰国子女でもなく、海外留学もわずか1年の佐々木真理絵はなぜスポーツ通訳者の仕事に就けたのか?
会社を辞めて退路を断った佐々木はある日、求人情報を目にした。 「プロバスケットボール、Bリーグ(当時はBJリーグ)の大阪エヴェッサというチームがマネージャー兼通訳を募集しているのを見つけました。チームのことも知らないし、バスケットボールの知識もありませんでしたが、履歴書を送りました。採用面接の時、日本人のヘッドコーチの方は英語が堪能で、英語で質問されたんですけど、本当にしゃべれませんでした」 この時の採用条件が「チームマネージャー兼通訳」だったことが、佐々木にとっては幸運だった。 「面接の時には『現時点の英語力では通訳を任させるのは厳しい。でも、通訳にとって大事なのは語学力だけじゃないから』と言っていただきました」 【マネージャー兼通訳として採用】 無事に、チームマネージャー兼通訳として採用が決まった。 「まずはマネージャーの仕事を覚えてから、それができるようになったら通訳もするという話でした。チームに帯同して遠征に出たら、自分の時間は持てません。試合の選手登録などの事務作業もたくさんありますし、試合後には選手たちのユニフォームの洗濯もしないといけない」 英語が話せる佐々木は、外国人選手の対応も任されるようになった。 「はじめは通訳というよりもお世話係という感じでした。その時所属していた選手の英語が特徴的で、早口でスラングが多くて、アクセントのクセも強かった。選手たちの英語は本当にわかりませんでした」 しかし、お世話係としては「わからない」では済まされない。彼らと日々、対話を続けることで「教科書に載っていない英語」を学ぶことができたのだ。 チームとの契約が満了したあと、地元の京都ハンナリーズへ。 「通訳の仕事も積極的に任せてもらえるようにお願いしました。当時のトレーナーも英語ができる方で、手分けしつつではあったんですけど、私はやりたい気持ちが強かった」 通訳として力をつけるためには、とにかく場数を踏むことが大事だ。 「まだまだマネージャーの仕事のほうが比率としては高かったんです。だけど、バスケットの知識がかなり必要な通訳などいろいろな仕事をさせてもらったことでステップアップできたと思います」