フィリピン移住4ヶ月で貯金が消えた…けど「不安がなくなった」 阪神・淡路大震災の経験を経て辿り着いた“幸せの場所”
新しい価値観を知る
中学校に入ると、ようやく通常通りの学校生活が始まった。そこには知らない世界が広がっていた。 「私の地区の中学校は一番ヤンキーが多くて。初めはこんな世界があるんだと驚きました。でも徐々に仲良くなって彼女たちの考えや思いを聞き、距離が縮まりました」 嘉恵さんは、彼らのコミュニティーがとてもユニークだと感じた。一般的に外見や行動で非難、敬遠される同級生とも互いに打ち解け合うようになった。そして外からは見えない複雑な生活環境や、彼らの「誇り」を次第に知るようになる。同和地区から通う友人は、放課後積極的に差別の勉強会に参加していると聞き、大人びて見えた。 震災を含む学生時代の経験は、カオハガン島に住み始めて異文化と向き合った時と似ているという。
カオガハンとの出会い
高校卒業後、カフェで3年、雑貨店で9年働いた。 雑貨店では、世界中から取り寄せた手作りの商品を販売していた。カオハガン島で作られるキルト作品と出会ったのはこの頃だ。「カオハガンキルト」の特徴は、島の自然がカラフルなパッチワークで描かれていること。嘉恵さんは作品に関わった人がどんな人なのか、どんな思いで作ったのか想像を巡らせた。 「お店でキルトを作っている人の写真を見たんです。よく日に焼けたお母さんが、カラフルな生地を縫い合わせているのを見て、直感的に行きたくなりました」 嘉恵さんが26歳の時、雑貨店の先輩と初めて島を訪れた。キルト作者のストーリーを知ることで、販売時にお客さんの心を動かすだろうと思った。 「実際、キルトに刺繍してある名前の方に会わせてもらったら、推しに会ったような高揚感がありました。帰国後、カオハガンで見聞きしたことを熱心に伝えながら販売していると、他の商品も頑張って売ってね、と上司から言われるくらいでした」 嘉恵さんにとってカオハガン島の第一印象は「自然と生き物が調和していて、島民が人懐っこく、みんな喜びの中で生きている」というものだった。 その後、雑貨店の仕事が忙しさを増し、少しずつ疲れを感じるようになっていた。そして27歳で1度目の結婚をした頃には、心身ともにかなり疲労がたまってきていた。