フィリピン移住4ヶ月で貯金が消えた…けど「不安がなくなった」 阪神・淡路大震災の経験を経て辿り着いた“幸せの場所”
ヨガの学び
結婚後、仕事の気分転換のためにヨガを始め、いつの間にか夢中になっていった。 「ヨガ哲学で、幸せは自分の中にあることを学びました。この時、またカオハガン島のことを思い出したんです。結局忘れられなくて5、6回訪問しました。島に来たら癒されて、日本に帰ったらまた仕事を頑張ろう、の繰り返しでした」 体のリフレッシュはもちろん、ヨガの思考に魅せられて「幸せ」についての探求が始まったと語る。幸せは自分の中にあるはずなのに「なに食べたい、これがほしい」など外からの幸せを求めている自分のギャップに気がつき、興味をもった。それが「どんな人生を歩んでいこうか」と考えるキッカケともなった。 30歳の時、さらにヨガの学びを深めたいとベトナムのヨガスクールに参加した。2ヶ月半のプログラム終了後、雑貨屋を退職した。そして、神戸にヨガの学び場「HITOSAJI」を開いた。ベトナムでの学びを還元したい気持ちがあった。 そんなある日、カオハガン島の所有者である崎山克彦氏が日本に来ることを聞き、嘉恵さんは自身のスタジオへ招待した。このとき崎山氏と話をしたことが後の転機になる。「カオハガン島で暮らしている島民は、幸せが自分の中にあると知っているから、いつも幸福感に包まれているんですね。そんな場所で本当のヨガを学びたい」と嘉恵さんは伝えた。崎山氏からは快く「おいでよ!」と言ってもらい、直感で「行きます」と返事をした。「行く」とは移住をするという覚悟であり、開いたばかりだった「HITOSAJI」も閉じる決意をした。 崎山氏はその後、移住確認のため、もう一度神戸に来てくれた。 「そのとき、元夫が経営する店へ一緒に食事に行きました。この時点では、元夫に別れたい旨をまだ話していなかったのです。しかし私が席を外したとき、元夫は崎山氏に『嘉恵のことをよろしくお願いします』と言ったそうで。私の生き方を尊重してくれたことに感謝しかありません」 カオガハン島に出発する前夜、離婚が成立した。2015年31歳の時だった。