山下達郎的「一人きりのクリスマスイブ」もはや「ありえない」…!ロボットから考える「マチアプ」恋愛「うまくいく人」「いかない人」の意外すぎる特徴
「機能」に還元することの「歪さ」
以上のように、恋愛にはこのような要素がある、と様々な点を列挙して、それぞれの項目ごとに人間とロボットの能力を競わすことはいくらでも可能である。 しかし恋愛を何らかの「機能」に還元してしまった段階で、どのような「機能」についても、それはロボットでも可能だと最新技術を引き合いに出して論破したり、屁理屈(?)をこねたりすることができてしまう。 さらに実際の人間同士の恋愛が文学作品のように美しいことなど殆どなく、打算や依存、虚栄心や支配欲などで成り立っている関係も多いことを鑑みると、恋愛の「理想」を声高に叫べば叫ぶほど、そのような人間の「俗っぽい恋愛」との比較で、ロボットとの恋愛の方が遥かに純粋であり美しいと言われてしまうのかもしれない。 しかし、この記事の目的は人間を馬鹿にして、ロボットを賛美することではない。 正直、現状のロボット技術はまだまだ発展途上であり、現実問題として、多くの人にとって、恋愛相手の座がロボットに取って代わられることは、しばらくはないであろう。 また筆者自身、ロボットにでは真似できない、人間同士の関係性にしかない普遍的な価値がたくさんあると信じている。
人間を人間たらしめるものとは
人間はさまざまな社会的文脈(生きてきた文化、社会的ステータス、受けてきた教育、周りの人間関係など)、生物学的文脈(過去からうけつがれてきた遺伝子情報、脳や身体の生理状態)の交差点に生きる存在である。 それに対してロボットは、どれだけ表面的に人間に近い外見や振る舞いをしていても、このようなさまざまな文脈を背負っていない。お互いに背負っている文脈の量が圧倒的に多いのが、人間が人間である意味であり、このような多様な文脈を背負っている人間同士にしか実現できない関係性は確実にあると考えている。 しかしこの記事で述べてきたように、恋愛を「機能」という観点から、一つ一つを部品として解剖していくと、なかなか人間の方がロボットよりも恋愛で「優れている」ことを明言するのは難しいことが分かる。 いや、そもそも優劣で人間の関係性を捉えようとする姿勢こそが、現代社会が我々に暗黙的に被せているバイアスの眼鏡によるものなのかもしれない。 近年、急速に人工知能技術が発展し、多くの人たちが否応なしにそのような技術に依存しながら暮らすようになる時代が近づいている。そのような時代において、なんでもかんでも人工知能任せにせず、自分に誇りをもって生きていくためには、自分自身しか相手に提供できない固有な価値とは何か、という哲学的問題と向き合い続けることが大切になる。 恋愛とは、異なる価値観をもった人間同士のぶつかり合い、と表現することも可能であり、人類の歴史を通じて、文学などの創作において魅力的な題材とされてきた。 「恋愛」という観点から、自分しか相手に提供できない(ロボットには提供不可能な)価値とは何か、という命題を問い続けていくことは、これからやってくる新しい未来社会を生きる我々にとっての羅針盤になるのかもしれない。 それが具体的にどのような社会になるのか、まだまだぼんやりとしか筆者の中に浮かんでいないが、人々の生き方や愛し合い方が今よりもカラフルで、これまで本や映画などの虚構の中にしかなかった「ワクワクする物語」が現実のものになっていく、そんな世界になると良いなと思っている。 筆者には、ロボットには決して真似できない人間にしかもてない「愛」についてのアイデアがすでにいくつもある。 それらについても、またどこかの機会でみなさまに語ってみたい。 >>恋愛の「目に見える」要素をロボットに実装できるのかについて知りたい方は、前編「人間の「生々しすぎる」欲望かなえるロボットの実態…!「ヒトの身体を模倣して…」」もぜひお読みください。
高橋 英之(大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻知能ロボット学研究室(石黒研)特任准教授)