平野紗季子が『ショートケーキは背中から』に書いた食への愛を訊く「電車を逃してもアイスを食べたい」
「どうやら私は新しい舌を持っている」と書いたデビュー作、『生まれた時からアルデンテ』(平凡社)から10年。フードエッセイスト・平野紗季子による待望の新作フードエッセイ集『ショートケーキは背中から』(新潮社)が発売された。 【画像】平野紗季子 平野はエッセイストとしてのみならず、代表を務めるお菓子ブランド「(NO)RAISIN SANDWICH」の立ち上げや、Podcast『味な副音声 ~voice of food~』など、食をテーマに活動の幅を広げてきた。そのなかで、原点ともいえる文章によって、さまざまな角度から食べものや食を巡る場について著したのが本書だ。 京都今宮神社の参道にある店であぶり餅を食べるときの様子を「赤子の魂をまとめて喰らう妖怪の気分」、あるレストランのアミューズで出てくるパンケーキを「うまいまでがめちゃくちゃ速い」と表現するなど、キャッチーなワードにあふれた文章で綴られる心躍る食体験とともに、食が人生のなかにあるどうしようもなくつらい瞬間に寄り添い、救いになる存在でもあることが、たびたび書かれている。 テキストが書かれたこの10年間を通じて変化した、食への眼差しの現在地について、話を聞いた。
平野紗季子は「フード界のayu」⁉︎10年間で見えた美食家としての変化
─取材の前に『生まれた時からアルデンテ(以下『アルデンテ』)』も読み返したんですけど、とにかく食に対してものすごく心躍らせていることが伝わってきて。 平野:お恥ずかしいです。『アルデンテ』を書いていた頃はまだ大学生で、どこが前かもわからないまま、とにかく食が放つきらめきに魅せられて、目がくらんでいるような感覚でした。そこから10年という時間が流れて、自分のなかに「食の地図」のようなものがおぼろげながらに見えてきたような感じはしています。 ─「闇がお菓子をおいしくするんですね」というフレーズがある会社員時代のエピソードから始まっているように、今回はきらめきだけでなく「つらく苦しいときに食べものが救いになった瞬間」も書かれていますね。 平野:10年前は本当に光だけを見ていたところから、「影があってこそ味わいが立体になる」と感じるようになって。おいしさのなかにエレメントの一つとして、つらい時間や苦しいことのなかで出合った味も内包されていると気づいたんです。 だから今回の『ショートケーキは背中から』は、ただただおいしいものをコレクションしようとまとめた一冊ではないんですね。 ─平野さんがayu(浜崎あゆみ)を好きだと知っていたので、「(NO)RAISIN SANDWICH」について書かれた章で、「むしろ菓子は悲しみに寄り添うものである」と書かれた部分なども含め「闇や悲しみや孤独の側に食がある」というスタンスが、めちゃくちゃayuだ……! と思いながら読んでました。 平野:(笑)。まさかの美食DIVAだった……⁉︎ ダイレクトに影響を受けて書いたつもりはなかったのですが……。スターという存在は、一見きらびやかではありますが、その成功の裏に抱えている葛藤や苦悩にこそ、ファンはシンパシーを抱いて愛や信頼を深めていくことがあると思います。 私にとって食べものはスターやアイドルのような存在なので、おいしさや美しさといった眩しい側面だけでなく、それがあることでどんなふうに救われたか、どんなふうに励まされたかという、多面的な側面を持って愛してきたところは共通しているかも。うーん、こじつけな気もしますが……(笑)。 ─本書のなかでも書かれていますが、やっぱりこの10年のあいだ「食べものに救われた」と感じる機会は多かったですか? 平野:そうですね。仕事で疲れ果てた夜中に、一刻も早く寝たいはずなのに、家の目の前にある深夜までやっている食堂に吸い込まれるように入ったことがあって。出された食事が体に染み渡って、「自分にもまだ感じる力が残っていたんだ」と気づいたんです。 平野:自分が自分であるために、絶対に食べものを手放しちゃいけないんだという確信めいた実感があって、ちょっとやそっと人様に迷惑をかけても、この時間は譲らんぞ、と思いましたね。誰しもそういうある種の聖域みたいなものを持っているのではないかと思うのですが、私にとってはそれが食べものだったんだと思います。 ─クッキングパパに憧れて、会社の給湯室で夜中にアイスクリームをつくるエピソードは笑いました。 平野:早く帰れよって感じですよね(笑)。なんとかして組織に抗いたいという思いが、おかしな表出の仕方をしちゃっていたときです。 ─食って自分を日常につなぎ止めるためのものでもあるけれど、日常がしんどいときに逸脱する手段にもなるんだと思ったんですよね。 平野:本当にそう思います。社会人としてはあんまりおすすめできないかもしれないけど、目の前にセブンティーンアイスの自販機があったら、電車を1本乗り過ごしてでも、それを食べるくらいのことは許されてほしいです。 セブンティーンアイスってよく駅のホームにあるから、食べたいけどいまは食べられるタイミングじゃないなあ、これを食べられたらすごく幸せだろうなあ……っていつも思うんですよ。 ─食に対して「きちんとしなければならないもの」というプレッシャーを感じている人もいるのではないかと思います。 平野:ルーティンとして食事をつくる役割を担っている方にとっては負担になる局面もきっとありますよね。私自身は、1日1食の日もあるんです。朝ご飯はあんまり食べないし、夜しっかり食べる日は、空腹状態で食べものと向き合いたいから、お昼も食べなかったりします。1日3食、とか、栄養バランスをしっかり、といったルールをあまり気にしておらず、それゆえに毎食を楽しみにできているのかもしれません。 ─駅のホームでセブンティーンアイスを食べてもいいし。 平野:夕ご飯がスナック菓子の日があってもいいし、朝ご飯がケーキでもいい。ひるがえって突然体にいいものを食べ始めてもいい。食べることはもっと自由でいいんじゃないかなと思います。