平野紗季子が『ショートケーキは背中から』に書いた食への愛を訊く「電車を逃してもアイスを食べたい」
平野が「一食を無駄にすること」を怖がらない理由。つくり手になったからわかるフードシーンの尊さ
─いまってSNSなどを通じて、新しくお店の情報を知る機会自体はすごく増えましたよね。 平野:そうですよね。食体験に対してできる限りストレスを感じたくない人も多いと思います。だからレビューサイトがあったり、「外さないためのグルメガイド」みたいな特集があったりして。その欲求はよくわかるし、みんな忙しいから、そんな悠長に「外してもいい」なんて思えないですよね。折角外食するならいい経験にしたいって。 私自身は、食体験が即効性をもってわかりやすく自分に還元されなくてもいいと思っています。よく「あと○年生きられたとしても、残り○食しか食べれないから、一食も無駄にできない」みたいな言い方をおいしいもの好きの方はするんですが、私としては、なんで無駄にしちゃいけないんだろうと思うんですよね。 平野:いまでも日々、「実際に食べてみたら思ってたのと全然違った」という経験はいっぱいあるんですけど、必ずしもハッピーではなかった食体験も一つの味なので、それはそれで面白いというか。人に連れられて、自分が行かないようなお店に行く機会があるとテンションが上がりますし。 ─無駄ってなんなのかということを思います。好みじゃないから無駄とするのか、それもまた珍しい体験だと思うのか。 平野:たとえば、会社員時代の飲み会で行った飲み放題の居酒屋で、食べものがめっちゃテーブルに落ちてたこととかすごくよく覚えていて。「こんなにテーブルに食べものが落ちてることがあるんだ!」って忘れられない。そういうことも含め、どんな食のシーンにも面白さがあるから、自分にとって心地よくないなら意味がないという感覚はあんまりないんです。 ─幼稚園のころ、福岡から東京に引っ越してきたときに、近所のパン屋が代官山シェ・リュイになったことの衝撃について書かれていましたが、『アルデンテ』では当時アルバイトをしていた山本宇一さん(※)のカフェで学んだことについて書かれていたのも印象的でした。平野さんにとって、東京のフードカルチャーとの出合いや、そこで培われた感覚って、食と向き合ううえでどのように役立っていますか? 平野:子どものころから東京に住んで、東京の食シーンのなかで育ってきたからか「東京出身ですか?」って聞かれることがあるんです。でも本当に東京が「地元」の方とお話ししていると、鰻はここ、蕎麦はここって、祖父母や両親の代から当たり前のように通っているお店がある人も多いですよね。こんなにミーハーじゃないと思うんです(笑)。 私の場合、両親も「東京のレストランってすごいなー」みたいな感覚を持っていたから、家族でご飯を食べに行くときも、新しいお店に行くことが多くて。そういう意味で、東京のフードカルチャーの蠢きにずっと心踊らせながら育ってきたところがあるかもしれないですね。 ─東京の街やそこで育まれる文化もどんどん変わってきていると思うのですが、いまはどんなふうに東京のフードカルチャーを見ていますか? 平野:料理人の方とお話ししていて聞くのは、東京で店を開くうえで、どんなふうに自分のアイデンティティを表現するのかが、すごく難しいということです。チャンスもたくさんあるけど競争も激しいなかで、自分らしい料理を突き詰めることが都市であればあるほど困難、というような。 ─たとえば東京は、お店を開く人がもともと土地自体にゆかりを持たない場合も多いし、その土地で採れるものを使うようなことも地方に比べると難しいですよね。 平野:そうですね。どちらにも難しさがあるとは思いますが、いまは料理人の方で、東京でしっかり経験を積まれて、地元に帰られてお店を始める方も増えていて。「ローカルガストロノミー」という言葉もありますが、その土地にしかないものや、その人の人生だからこそできることをくっきりと打ち出しやすい、という意味においては強さがあるのかもしれませんね。 ─どんなストーリーを持ってお店をやるかについて、意識的な方が昔より増えたところもあるんでしょうか。 平野:昔は海外の料理を日本に持ってくることそれ自体に大きな価値がありましたから、料理のアイデンティティに想いを馳せるようなこととはまた別の困難と戦っていたのではないかなと思います。いまは情報も食材もなにもかもフラットに流通できる時代になったからこそ、自分は誰で、だからなにをするのかが、より一層求められる時代になっているように思います。料理人の方もみなさんそれぞれ戦っていらして、そういった方々と関わるたびに、心から応援したいな、という気持ちになります。 ─平野さん自身もお菓子ブランド「(NO)RAISIN SANDWICH」を始めたことについて本書でも書かれていますが、つくり手側に回ってみて、食に対する見方や向き合い方が変化した部分はありますか? 平野:めっっっちゃ変わりました! より優しい気持ちになりました……(笑)。 私も会社を立ち上げて自社工房をつくるときに、銀行からまとまったお金をドンと借りたのですが、飲食店の方もまた、独立してお店を開かれる際に、まとまった額を借入されることも多いんですよね。日々積み重ねていく千円、5千円、1万円の売上に対するリアリティのようなものは、自分も経営者になってみてやっとわかったといいますか、1日1日の営業の重みをすごく実感するようになったし、尊敬も増しました。 ─本書では「催事の前日に冷蔵庫が壊れたかもしれない」という、ブランドを運営するなかでのトラブルについても書かれていましたけど、そういう生身の実感って、自分でやってみないと本当にわからないことですよね。 平野:みんなそんな日々を越えながら、それでも笑顔でお店のドアを開けてお客さんを待っているのだと思うと、心から幸あれ……! と思います。 ※山本宇一:レストランオーナー、プロデューサー。都市計画、地域開発などのプランニングに携わったあと、飲食業に転身。1997年、オーナー兼プロデューサーとして駒沢に『Bowery Kitchen』、2000年に表参道『Lotus』を開業。同年には表参道『montoak』を、翌年には代々木『TARLUM』をプロデュース。
インタビュー・テキスト by 松井友里 / 撮影 by 新家菜々子 / 編集 by 生駒奨