平野紗季子が『ショートケーキは背中から』に書いた食への愛を訊く「電車を逃してもアイスを食べたい」
「料理人は私たちと自然をつなぐ仲介者」。平野の食に対する敬意と学んできたこと
─今回読んでいて思ったのが、「食」という生活に密接なものについて書きつつ、あまり生活の匂いがしないな、ということで。食と生活を結びつけて書かないことには、書き手として反骨精神みたいなものがあったりしますか? 平野:昔はあったんですよね。もっと食に夢があってもいいじゃんと思っていたから、食の本が実用書の棚に入ってることにも納得がいかなかったし。でも、いまは必ずしもそうでもなくて。 平野:疲れ果てて帰るときに出合うコンビニの鍋焼きうどんのおいしさとか、ただただ生活でしかない日々のことも書いていると思います。でもいちいち、何気なく買ったバナナに雷に打たれるみたいに感動していたりとリアクションが大袈裟なので、生活感が少ない印象になるのかもしれないですね。 ─今回、社会課題や環境問題に取り組むレストランの話もでてきましたが、食という芯はありつつ、以前よりも関心を持つ領域に広がりが出たという自覚もありますか? 平野:そうですね、それは料理人や生産者の方たちと出会うことで変わってきた部分かもしれないです。たとえば世界的に有名な三つ星レストランのシェフに「いまのシェフの敵ってなんですか?」と聞いたら、即答で「気候変動だよ」と言われて、はっとして。 食って農業だし、漁業だし、地球環境ともかなり密接に結びついているもので、それを切り離しては食べることもつくることもできない。シェフの言葉は本当にそのとおりだなと思ったんです。食べておいしいだけじゃなくて、むしろそこからなにかが始まっていくんだという実感をいただいて、食べものから学べることってこんなに大きいんだなと思いました。 ─「きっと私は世界を理解したい。そのための手段が、私の場合は、食べものだったのだ」とも書かれていましたね。 平野:料理人や生産者の方とお話ししていると、こんなふうに世の中を見て、こんなふうに世界と関わろうとしているんだ、と世界に対する視点を教わります。 平野:料理人の方って、私たちと自然環境をつなぐ仕事をされているといえるかもしれないですよね。どちらの声も聞きながら、あいだに立って翻訳したり、仲介したりする立場だと思う。これ以上地球に負荷をかけられない時代に来ているなかで、料理人の方を始め、食に関わる方の言葉にこそ耳を傾けたいなと感じます。 ─消費すること全般に無邪気でいられなくなってきたところが社会全体にあるように思うのですが、この本のなかで印象的なのが、「レストランでバッドエンドを迎えないためにできることがあるとするならそれはまず、一方的な消費のマインドを捨てることだろうと思っているけれど、これは自戒や自省を含めてすごく長い話になりそうです」という一説で。 平野:「いいお店教えて」って聞かれることが多いんです。もちろん何かしらの回答は用意できるのですが、つねづね思うのは、確固たるいいお店がそこにあるのではなく、いい店をつくるのはそこに足を運ぶ自分自身でもある、ということで。お店が提供するものがどんなに素晴らしいとされる水準だったとしても、それを受け取ろうとしなかったら、いい食体験にはならないんです。 昨日行ったお店でもたまたま近くの席でお客さんとお店の方との小さな言い争いがあって。 ─どちらにとっても不幸ですよね。 平野:昨日のお店も、とってもいいお店なんですよ。でもお店側のルールに対して「そんなの聞いてない」ってお客さん側がなってしまって、そうするともう、どうしようもないじゃないですか。「かけ違えたボタン」(※)みたいな……またJ-POPになってる(笑)。 ─(笑)。 平野:シーンとしては興味深いけど、当事者としては残念な時間だと思うので、そうならないためにはどうしたらいいんだろうということについてよく考えていますね。 ※Mr.Children“くるみ”の一節<どこかで掛け違えてきて 気が付けば一つ余ったボタン>より