西洋美術を超克する「もの派」レジェンド 80歳の彫刻家・小清水漸さんがめざす世界 一聞百見
戦後日本の重要な美術動向「もの派」を代表する美術家の一人、小清水漸(こしみず・すすむ)さん(80)の創作活動を振り返る展覧会が、15日まで兵庫県宝塚市の市立文化芸術センターで開かれていた。半世紀を超える創作をまとめた美しい空間の中で、美術界のレジェンドに聞いた。 【写真】シリーズ作品「表面から表面へ」に腰をおろし、笑顔で語る小清水漸さん 展覧会の正式名称は「小清水漸の彫刻 1969~2024・雲のひまの舟」。実は開幕した日、短い時間ではあったが、会場を訪ね、展示されている彫刻作品やドローイングなどに一通り目を通してはいた。 最初の「垂線」は、真鍮(しんちゅう)の分銅をピアノ線でつるしただけの作品。次の間の「表面から表面へ」は、電動のこぎりで直線的な切り込みを入れたり、ピラミッドのような立体を規則正しく刻んだりした材木を無造作に床に置いたシリーズ作品である。 また、小清水さん自身がお気に入りだという「そのあるところのもの」は、木や金属の台の上に石や麻縄を置いただけのものだし、「水浮器」は水を張った信楽焼の器に、木などをバランスよく浮かべたもの。 こう書き並べてみると、なんだかそっけないが、その展示空間はとても静謐(せいひつ)で神聖さのようなものさえ感じられ、作品をじっと見つめているとそこにある「もの」自体が語りかけてくるようにも思えてくる。 例えばそれは、重力によって生まれる線の美しさであったり、あるいは今となっては珍しい木造建築の現場に立ち会っているような懐かしさであったり。 実はそこに、「もの派」というグループの神髄があるのではないか。 1970年代前後、彼らは未加工の自然物質や物体を芸術表現の場に主役として提示し、ときにそれらを組み合わせて作品とすることによって脚光を浴びた。物質(もの)への還元により、新しい芸術を志向した彼らは、日本の固有性を提示した初の美術動向ともいわれている。 その「もの派」誕生のきっかけとなったのは、1968(昭和43)年10月、神戸須磨離宮公園現代彫刻展に関根伸夫が出品した「位相-大地」という作品だった。それは、大地に巨大な円筒形の穴を掘り、その傍らに土を同じ形に固めて配置したトリックアート的なもので、小清水さんも制作に参加していたのである。 再び会場を訪れた日、一つ一つ丁寧に作品の解説をしてくれたあとで、小清水さんは言った。