西洋美術を超克する「もの派」レジェンド 80歳の彫刻家・小清水漸さんがめざす世界 一聞百見
しかし、実際は音楽に現実逃避していたせいか、志望した東京芸術大にはふられてばかり。
「さすがに4年の浪人はまかりならんということで、3年遅れて多摩美(術大)の彫刻科に入ったのですが、彫刻をやりたいわけじゃなかった。彫刻は定員が少ないので、落ちたときの言い訳が立つ、というよこしまな気持ちで受験したら受かってしまった」
それを機に、とにかく、彫刻を真正面に据えてやらないといけないと、音楽からもきれいに足を洗った。そうして先述した関根伸夫の「位相-大地」の制作に加わることになる。
「プロとしてやっていけるのではないか、と思ったのは、翌1969(昭和44)年に京都国立近代美術館で開かれた『現代美術の動向展』に呼ばれて出品した『かみ』という作品が高く評価されたことから。紙袋の中に、大きな石が入っているのですが、これに気をよくしてパリ・ビエンナーレで作品を発表したら外務省の交流基金から1年間、世界を移動し放題のチケットをもらった。それで、パリに行ったあと、半年くらいヨーロッパを飛び回っていました」
指揮者の小澤征爾、建築家の安藤忠雄ら、若い頃に海外を旅し、それを糧に芸術の世界で名を成した人は多いが、小清水さんも同様だった。
「一番強く残っているのは、現代美術をやっている欧州の作家の作品の中に、彼らが自分の生まれ育った社会の歴史や風土を背負いながら制作しているということが見えたこと。新しいものを作るということの中に、歴史や社会が必然としてつながっていくのです」
ひるがえって日本の現代美術を見返したとき、それが欠落していることを改めて感じさせられたのだという。「自分たちの歴史的、社会的な事柄や風土などを何も表現していないということに気付かされたのです」
では、地に足の着いた作品をどう創るのか。小清水さんは73(昭和48)年、東京を離れる決断をした。
■板一本、石ころ一つ どう表現 制作意欲衰えず
東京を離れてたどり着いた先は滋賀県の信楽(しがらき)。いわずと知れた焼き物の里である。「宇部(山口県)の野外彫刻展のために、セラミックの作品が作りたいと思って。ちょうどペルシャ(イラン)の青いタイルのような感じのものです」