西洋美術を超克する「もの派」レジェンド 80歳の彫刻家・小清水漸さんがめざす世界 一聞百見
しかし、焼き物は成形し、乾かしてから焼くという作業がある。「それで、3カ月ほど、信楽の木賃宿に住んでいました」
その後、大阪府池田市に居を構えることに。「同志社大の教授で哲学者の吉田謙二が僕の作品を認めてくれていたのです。彼は日本の現代美術に何が欠けているかという点で、僕と意見が一致した人物なのですが、その吉田は豊中(大阪)に住んでいた。彼がこっちで住むなら北摂がいい、と勧めてくれたのです」
ちょうどその頃、池田市にある逸翁美術館の近くに5階建てのマンションができて、そこに引っ越した。「でも、50年もたつと、ものであふれて手狭になってきた」
そこで、現在住んでいる兵庫県宝塚市のマンションに引っ越した。場所は宝塚歌劇団の本拠、宝塚大劇場のすぐ近く。「もちろん、理由は劇場に通いやすいようにですよ。大学の教員時代はいかに学生に教えないかを考えていた。学生を自分の懐に抱き込むと伸びないからです。宝塚(歌劇)はその大学を退官した頃、娘が『面白いし元気が出るから、一緒に見にいこう』と連れて行かれたのがきっかけ。それまで、宝塚の門がくぐれなくて。男が入っていけないところだ、と思っていましたから」
宝塚デビューが50代に入ってからという筆者にも、タカラヅカに入りづらい気持ちは分かる。
「初めて見たのは60代半ば。星組の『ロミオとジュリエット』でした。トップは柚希礼音(ゆずきれおん)でした。以来、面白くなって、ずっと公演のたびに見ていたら、宝塚歌劇の有料放送などを担当する宝塚クリエイティブアーツから番組審議会の委員にならないかと。半分、冗談だろうと思っていましたが、年に1度は招待されて委員全員で見る機会があるということなので引き受けました」
展覧会を作るのは、今も楽しい。しかし、彫刻家は画家や版画家と比べて体力が必要になる。「身近にいて助けてくれる助手がいれば別ですが。自分一人で(作品を運び入れるために)運送屋とやりとりしたりね。大変なんです」