世界文化賞受賞者5人の「もう一つの横顔」 それぞれに芸術の道を歩み、究める
阪神大震災(1995年)やルワンダ内戦(1990~94年)などをきっかけに、戦争や災害で家を失った人のもとに駆け付け、仮設の住まいを造り続ける。「地震で人が亡くなるわけではない。建築が崩れることで人が亡くなるのです」と説く。素材には自然や人に優しいロール紙の紙芯を使う。「軽い紙の建築は崩れません。弱い材料でも強い建築を造れるのです」
最近では、ロシアの侵略を受けるウクライナや、今年1月に大きな地震に見舞われた能登半島にも足しげく通った。選考委員の三宅理一氏は「状況判断の速さと瞬発力には驚かされる」と評する。とにかく、エネルギッシュな人だ。
小学生の頃からラグビーに夢中で、高校時代には全国大会に出場するほどだった。「練習は毎日つらかったですよ。でも、次第にそれが楽しみになっていくんです。何せ私の母の教えは、『楽な道と苦労する道があれば、苦労する方へ行け』でしたから」
8月に編著書「動都 移動し続ける首都」(平凡社)を上梓した。「生前、親しくしていただいた堺屋太一先生は、明治維新、終戦に続いてもう一度リセットしなければ、この国はだめになるとおっしゃっていた。東京一極集中は防災の観点からも厳しい状況にある。五輪のように4年に1度、首都を移してデジタルインフラを広げ、地方創生の道を開くべきです」
刺激に満ちたアイデアを提供し続ける。
■「歌え」愛の薫陶で若手育成
音楽部門 マリア・ジョアン・ピレシュ氏
ピアニストとしての演奏活動のかたわら、社会活動や音楽教育にも熱心に取り組む。日本で活躍するピアニスト、小林海都氏(29)も、まな弟子の一人だ。高校2年生のとき、来日中のピレシュ氏のワークショップに参加。「欧州で一緒に勉強しないか」と才能を認められ、高校卒業後、10年にわたり師事した。
師匠としてのピレシュ氏の言葉は抽象的で、技術について端的に語ることはなかった。ただ、今も胸に刻んでいる言葉がある。
「ドント・シンク、シング(考えるな、歌え)」