「どれだけ人の思い出に残っていくか」――秋元康と竹内まりやが語るJ-POP、アイドル、創作人生
汗をかかないと、クリエーターはダメになる
音楽活動を休業し、山下達郎と結婚。自分の時間を取り戻した竹内の元に、楽曲提供のオファーが舞い込むようになる。オファーに応えて作った曲の一つが、中森明菜に提供した「駅」だ。その後、竹内がセルフカバーしてヒット。秋元は、初監督映画『グッバイ・ママ』の主題歌に「駅」を使用した。「原作は…竹内まりやの『駅』です。」とキャッチコピーをつけるほどインスピレーションを受けた。 竹内「山下達郎をサポートするのは、私にとって“間接的な音楽活動”でした。表舞台から退いて家庭を優先したことは、すごくよかったと思います。他のママたちと幼稚園の送り迎えをしたりしていると、『この女性たちはどういう歌を求めているんだろう』という気持ちが生まれたりして。普通の生活の中で見えてくるリアルな社会みたいなものがあったんですね。今も、朝起きて夜寝るまでの日常の時間を、どのくらい面白がれるかなと思いながら日々暮らしています」 秋元「その生き方が強みですよね。まりやさんの歌は映像が浮かぶんですよ」 竹内「私はアッキーがとんねるずに『ガラガラヘビがやってくる』を書いた時、本領発揮と思いました。お笑い芸人が歌う音楽プロジェクトで、カラオケ的な文化に浸透するような詞」 秋元「あの頃は仕事と遊びの間で歌や企画が生まれて。石橋(貴明)くんと港さん(港浩一/現フジテレビ社長)たちとご飯を食べている時に盛り上がって、石橋くんがポン酢、俺が餅が嫌いだとか話しているうちに生まれたのが『食わず嫌い』(バラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげでした』の名物企画)だったりね」
竹内「へえ、そうだったんだ。私はどんどん活躍するアッキーを面白く見ていたけれど、企業に招かれて経営のアドバイスもしていましたよね。今でも覚えているのが、どうして知らない畑でも相手の役に立つことを言えるんですかって聞いたら、自分には根拠のない自信があると答えたの」 秋元「それはね、高校2年の時にたまたまラジオ局に送った台本が面白いと言われて、それで始めたからずっとアルバイトなんです。結局は外野、ガヤなんですよ。だから『こういうことをやらなきゃダメだよ』と言えてしまう」 竹内「結構ノリで人を説得できちゃうんですよね」 秋元「そうそう。でもそのうちに、会議に出てしゃべるだけではクリエーターとしてはダメになると思った。自分が面白いと思うものを書かないとと思って書いたのが、小説『着信アリ』です」 竹内「そう思えたのはさすが。人に理屈で指示を出しても、それは自分が何かを生み出しているわけじゃないってところはありますからね」 秋元「僕らはやっぱり何か具体的なものを作らないと。自分が歳をとって説教臭くなっても、やっぱり自分自身も汗かかないとね」