なぜWBC王者の拳四朗は矢吹正道との死闘にTKOで敗れ具志堅氏の記録挑戦の夢が途絶えたのか…見え隠れした新型コロナ感染影響
8月25日に拳四朗の新型コロナの感染が発覚。当初、10日に予定されていた世界戦が延期になった。拳四朗には38度近くの発熱の症状があり、10日間の隔離期間中には部屋の中で「動くこともせず」YouTubeを見て過ごした。9月6日から練習を再開したが、その夜に、また37.5度の発熱があった。 アスリートは発熱により関節が緩む。「100日のトレーニングは3日休んだら元に戻る」との格言もある。 緑ジムOBの飯田覚士氏も、「発熱して大切な時期に調整がストップしただけで影響は間違いなくあるでしょう。僕はオーバーワークで体調を崩して半分も力を出せなかったこともある。多少コンディションが悪くても大丈夫だという油断があればなおさら危ない。実力はかなり違うが矢吹が予想のできないような喧嘩殺法でくればKO勝利もある」と指摘していた。 矢吹は日本タイトルを獲得して1度防衛しただけ。新人王戦でWBO世界フライ級王者の中谷潤人に敗れ、3年前には日本フライ級王者のユーリー阿久井にTKO負けを喫している。両者の実績と経験には格差があった。 拳四朗は動けないから、その分、何も口に入れることもできず減量もいつもにも増して厳しくなった。4ラウンドまでの2者フルマークは疑問だが、明らかにジャブにスピードがなくバックステップする際に体がいつも以上に上下にぶれていた。下半身に力が入らなかったのか、手数はあったが、パンチにキレがない分だけ、ジャブを評価しにくかったのかもしれない。 「コンディションは10日も休んだのだからベストではなかった。それでもやれるという自信があって、本人もすぐに試合をしたいと望んだし、我々も問題はないと決断した」と寺地会長が振り返ったが、やはり10日間の空白が響いた。 自身の泥酔トラブルで、久田哲也とのV8戦の日程が変更となり、今回もまた想定外の新型コロナ禍に巻き込まれて2度目の延期。プロモーターや対戦相手に、これ以上迷惑をかけられないという責任感が、拳四朗陣営を体調の完全な回復を待たない“無謀な日程変更”へと走らせたのかもしれない。 一方の矢吹は「延期がプラスになった。勝つ自信が深まった」と語っていた。 20ラウンドのスパーが追加でき、その間、松尾会長が「用意周到に準備していた」という、この“拳四朗潰し”のプランを徹底することができたのである。 寺地会長は、今後の進退については「本人次第」と判断を拳四朗に預けた。 実は王者のオプションは寺地サイドが保持しておりリターンマッチの権利を持つ。 「記録が途絶え、ライトフライに留まる理由はなくなったが、ここまで防衛を4年以上も休み無しに続けてきたので、まずはゆっくりさせてあげたい」 WBCは、よほどの事情がない限り、ダイレクトリマッチは認めていないため、矢吹が初防衛に成功してからになるが、拳四朗がリベンジを望めば再戦の可能性はある。 だが、新王者の矢吹は、リターンマッチには、「やってもええですが、勝負は2回もないんで。時がきたら」と言葉を濁した。 それもそのはず、矢吹は歓喜のリング上で衝撃発言を行っていたのである。 「この試合が終わったら勝っても負けても引退するつもりだった。勝ってしまったので改めて考えるけど」 試合後の会見でその真意を問われ、引退を否定しなかった。 「この試合にすべてをかけていたから引退してもええかな。軽量級のファイトマネーは安い。この試合には、命をかけたがそんな金額に命はかけられへんので、次はないかな。子供もおるからね。世界のチャンピオンの中でも一番強い選手(拳四朗)とやったんで、もう(世界戦を)やる必要もないかな。まあ考えます」 引退発言は、矢吹のこの試合にかけた熱量の裏返しだったのかもしれない。 松尾会長は、「引退の話はリング上で初めて聞いたけれど、矢吹が、それくらいの決意で、この1戦にすべてをかけていたことは感じていた。ただこれだけの勝ち方をしてくれたし今の緑ジム内の状況も変わってきているので気持ちも変わるんじゃないか。でも、これは本人が決めること。私がやれとか、やって欲しいとかいうべきことじゃない。もちろん、本人が、防衛戦に気持ちが向かうならば、いい条件の試合を選びたい」と、静かに矢吹の心変わりを待つ方針であることを明らかにした。 試合後、矢吹の妻は「死闘でした」と目もうつろにつぶやいた。 見る人の心を揺さぶる名勝負だった。終わってみれば、有料ネット配信した関西テレビが設定した2200円の視聴料は高くはなかったのだが、この試合が地上波で放送されなかったのは残念だと、一言付け加えておきたい。 (文責・本郷陽一/論スポ、スポーツタイムズ通信社)