保革二大政党 数から質の争いへ、ものの見方の根本に相違ある2陣営 昭和30年「天鼓」 プレイバック「昭和100年」
これからの国会は、いままでとは変つた様相と実質をもつことになるだろう。社会党両派の合同と、保守合同の成功がもたらす変化である。 ▼かつての帝国議会は保守二大政党の対立抗争が、議場のすべてを支配していた。一つが朝にたち、一つが野にあり相争う形が、政局の動きを形成していた。 ▼ところが、戦後は既成勢力に対する追放処置、新憲法下、新選挙法のもと婦人、青年の選挙権獲得、しかして、世間一般の左翼思想浸透とが相俟つて左翼陣営の進出をゆるし、社会党が議場に一大勢力を造成するにいたつた。 ▼そこで一時は片山内閣という社会党内閣が出来、社会党と保守党の一つが結ぶ内閣も生れた。が、社会党の分裂とともに、保守二党、左翼陣営二党の四つが、くんずほぐれつ、という形になつた。 ▼しかし、概ね、保守二党の一つが第一党として政権を取り、これと他の保守党との関係の親疎如何が、政治の天気模様を造つていた。 ▼ところが、この保守二党が、相結んで一党となり、一方社会党両派の合同が出来た。この保守、革新両大政党の対立が、今後の議場の変化を造成するのだ。これは、従来の保守二党間の角逐とは、全くその本質を異にするものである。 ▼量と程度、数の大小の論議だつたものが、質の争いとなる、といつた変化が来る。ものの見方の根本に相違のある二陣営間の争いとなる。 ▼保守合同を志すとき岸信介氏は、これからは、保守が若干左に寄り、左翼陣営はやや右へ寄るだろう、といつたが、それにしても、質を異にする二勢力の対立が、これからの政局の「かぎ」を握ることになる。そのため、万事が変貌すると思う。 (昭和30年11月20日) ※当時、産経抄は「天鼓」と呼ばれていました。