「夫よりもお兄さまのほうが大事…」 焼き殺された皇后の“悲運”と、皇位継承をめぐる争い 『古事記』に描かれた「古代史の真相」とは?
兄から「夫と兄、どちらが愛おしいか?」と問われた妹・狭穂姫。とうとう夫である垂仁天皇を裏切って、兄の意のままに殺害しようとした。しかし、いざ実行するという段になって、夫への情愛が甦ってつい、涙を流してしまった。結局、天皇にもことの次第がバレて、兄と共に焼き殺されてしまった。その一連のストーリーが、『古事記』に記されている。そこでは、まるで情愛の果てに生じたかのように語られているが、実は皇位継承にまつわる対立の果てに繰り広げられた熾烈な戦いであったことも見逃してはならないのだ。この一連の事件から、歴史の真相を探っていこう。 ■夫を捨て、兄のもとへ走った狭穂姫の「悲運」とは? 「私、夫より、お兄様の方が大事よ」 実の兄から「夫と兄、どちらが愛おしいか?」と問われたとある妹が、咄嗟に答えたのがこのひと言であった。 いきなり艶かしい会話で始まって申し訳ないが、実はこれ、かの『古事記』に記された一文である。同書は時としてこのような艶聞をさりげなく盛り込んでいるので、つい引き込まれてしまうのだ。 この兄と妹の会話から鑑みれば、どうしても二人のあってはならぬ関係を勘ぐりたくなってしまうが、本書はそれについては何も語ることなく、その後に巻き起こる大事件へと話をつなげている。となればかえって、モヤモヤした気分が高まってしまうのだ。 ともあれ、彼らの素性を明かすことにしよう。とある妹とは、垂仁天皇の后・狭穂姫命で、兄とは、沙本毘古王である。妹のこの返事に気を良くした兄、何と、妹に天皇の寝首を掻くようそそのかしたのだ。いかに兄思いの妹とはいえ、さすがに、すぐには頷くこともできなかったに違いない。それでも苦悶の末、とうとう兄に命じられたまま実行しようとするのだ。 后の膝枕でスヤスヤと眠りにつく天皇、その首に刃を当てて今にも切り裂こうとしたその刹那、夫である天皇を慈しむ心持ちが蘇って、思わず涙が頬を伝ってしまった。結局、天皇を目覚めさせてしまって万事休す。隠し通すこともできず、ことの次第をありのまま告げてしまったのである。 もちろん、すぐさま、沙本毘古のもとに討伐軍が送り込まれたことは言うまでもない。兄の身を案じた妹も、隙を見ていつしか兄の元へと辿り着いている。 実はこの時、彼女は身重であった。兄と共に稲城に篭って討伐軍と対峙し続けるうちに出産。後にその子だけは助け出されたものの、狭穂姫は兄と共に、稲城の中で焼き殺されてしまうのだ。 この『古事記』に記された一連の物語は、夫と兄のどちらを愛するかというその情愛をもとに描かれているかのように見えるが、実のところ、見えざる権力闘争が下敷きになっていることを見逃すべきではないだろう。それがどのようなものだったのか、探ってみることにしよう。