関電の金品受領問題 第三者委が会見(全文8)三十数年前とは時代が変わっている
恐怖が支配してる時代みたいなもの
第3期が原発事故があった11年以降、これはちょっと色彩がまったく変わってきます。やっぱり再稼働するかしないかっていうすごい大きな問題を抱えていますんで、彼の心情も変わっちゃうし、それから会社の雰囲気も全部変わって、再稼働をなんとしてでもやりたいってみんなが思ってるんですけどね。だけども、ここで再稼働を邪魔されちゃったら大変だっていう、その恐怖感がすごい強くなってくるんですね。単価アップと一緒になって額も非常にばかでかい額になっていく時代。恐怖が支配してる時代みたいなものですね。 だからそれぞれの期で違います。じゃあガバナンスとして会長、社長の責任を特に強く問うべき時代がいつだって言われると、ちょっと僕には分かりかねる。言えることはやっぱり美浜以来、原子力事業本部に対するガバナンスがほとんど見られなくなってくるっていうことですね。やっぱりそれが大きいなと思いますけども、それが地理的に向こうへ移っちゃったっていうことがかなり大きいんですよ。しょっちゅう情報交換するっていう体制がなくなっちゃったので。そのときに本当はガバナンスを維持するためにどうするかっていうのを考えなきゃいけなかったと思う。だけど、事業本部から言えば、俺たちはもう俺たちでやるぞっていう感じで独立王国をつくりだしちゃうので、なかなか誰がいいんだ、悪いんだって言われると、なかなか言いづらいなっていう気がします。
誰が対応しても同じような状況だったのか
朝日新聞:分かりました。先ほどの方々の質問にも通じるんですけれども、例えば少なくとも豊松さんなんかは今のおっしゃり方で言うと第3期、このときに森山氏とのパイプ役ということを務めておられた方なので、少なからず森山氏との共犯関係というものを強めた性格というのは強いんじゃないかと思っているんですけれども、そのほか、われわれ、取材上では第1期、特に美浜の原発事故が起きる前にも同じように森山氏を増長させたような方が役員クラスにいたというふうには確認しているんですけれども、そうした点というのは特に問題視される節はなかったんでしょうか。 但木:いや、それは増大しているというよりも当時本当に大きかったんです。森山さんの存在がね。みんな知ってるわけですよ。森山さんは何したかって。だからやっぱりそれは恩義に感じる面がものすごく強くて、だから彼もその時期に例えば叱りつけるとか、そういうのをやれるわけですね。彼が本当に権力が弱くなってから始めたんならあれはできなかったと思うんです。彼が非常に旺盛ななんて言うか、力を持ってるときに幹部を部下の前で叱りつけるとか、ホテルのロビーで説教するとか、そういうのっていうのはやっぱりそういう時代につくられていったものだと思います。 朝日新聞:分かりました。だから森山さんの影響力が強い時代というのは、特に関西電力の誰それが特別、森山さんとの関係性が強いとかではなくて、ある種、森山さんの影響力が強いからこそ誰が対応しても同じような状況だったと、そういう理解でいてよろしいんでしょうか。 但木:それは森山さんの評価っていうのはどなたがやってても高かったろうと思いますね。 司会:補足させていただきますと、今のような美浜に移る前にも取締役が多額の金品を受領していたっていうことは87ページのところでも書かせていただいて、そういった経緯の中で163ページのところで、長年にわたってこの問題を放置した経営陣の問題についても触れさせていただいているということを補足させてください。次の方、いかがでしょうか。じゃあ真ん中の真正面の方、どうぞ。