「”スーパーサイヤ人の闘い”といわれたヘーゲル研究会」、原稿を何度書き直しても「もっと、もがけ!」…哲学者・苫野一徳さんが師匠や担当編集者から受けてきた「教育」の共通項
手が届かなさそうで、届くかもしれない「知」への扉
――現代新書は今年60周年を迎えました。現代新書にまつわる思い出などあれば、ぜひお聞かせいただけないでしょうか。 苫野:今道友信さんという方が『愛について』(1972年刊、現在品切れ)という本を現代新書で書かれていて、影響を受けました。『愛』を書くうえでも、すごく意識しましたね。今道友信さんはとても好きで、『美について』(1973年刊)も好きでした。『愛について』と同じ現代新書で『愛』という本を書かせていただいたことは、感慨深いです。 私、新書で一番読んできたのは、現代新書だと思うんです。高校生くらいの頃から、一番好きな新書は現代新書だったんですね。で、なんでだろうなぁって考えてみると、昔は哲学系の本が多かったと思うんです。そして、まさに新書の役割を果たしてくださっていて、専門知への扉をちゃんと開いてくれる。興味はあるけど手が届かない、ということについて、まず現代新書を手にとれば、その知への扉を開いてくれる、というイメージがすごくあります。 手が届きそうで届かない、届かなさそうで届くかもしれない……この絶妙な扉を開いてくれるのが、現代新書らしさですよね。それを今後も期待したいな、と思います。 (聞き手・伏貫淳子)
苫野 一徳(熊本大学教育学部准教授)