千葉で空襲体験 生き抜いた女性が伝える「平和と花咲か和尚の功績」
そして、敗戦。日本全国が焦土となり、復興の光さえ見えない昭和20年代、館山では花の栽培が再開された。中心となったのは益禅師だった。 都心へのアクセスの良さも追い風になった。東京の進駐軍を中心に花の需要が高まると、生産量はさらに増えた。平和を取り戻した日本国民は花を再び愛するようになった。館山の花農家は全国へ花を送り続けた。花は館山の人にとって平和の象徴だった。
子供に知ってほしい
松苗さんの紙芝居は満開の花畑の写真で終わる。これを片手に、85歳になった現在も市内の図書館や学校、公民館などを回り、読み聞かせをしている。
平和の尊さを次の世代に語り継ぐのが自分の使命だと思っている。戦時中に出会った2人の若者のような悲劇を二度と繰り返したくはない。 「平和の大切さ、戦争の悲惨さをこれからも語り継いでいくつもりです。少しでも変だぞと思ったら、口に出して言える世の中であってほしい。花を見るたび、生きている幸せを、そして平和を感じてくれたらうれしいですね」
--- 松苗禮子 1936年千葉県に生まれ、8歳で終戦を迎える。教育の大事さに気づき、千葉大学教育学部に進学。県内の学校で美術教師を務め、定年退職後にボランティアで読み聞かせを続けている。 キンマサタカ 1977年生まれ。大学卒業後にサブカル系出版社に入社し、書籍編集から営業まで幅広く担当する。2015年に編集者として独立。株式会社パンダ舎を設立し、多くの書籍を手がける。ライター・写真家としても活躍し、岩井ジョニ男のインスタをプロデュースしたことで話題に。