「自閉症を抱えた小さい子が自分の中にいて、それを冷静に捉える僕もいる」。15歳、自閉症当事者が書き下ろす自伝エッセイの著者にインタビュー
2023年末、「自閉症を持つ私から見た日常」という一つの作文が大きな話題となった。自閉症当事者である中学生の男子が綴ったもので、自身が経験した外見や行動が相手に与える誤解、コミュニケーションに生じる不調や、脳の特性による世界の見え方などを紹介し、SNSでも広く拡散された。 【画像】書籍「わたしは、あなたとわたしの区別がつかない」では本人直筆のイラストも見どころ その作者であり、現在は高校生となった藤田壮眞さんが、自身初の書籍となる「わたしは、あなたとわたしの区別がつかない」を刊行した。今回は本人に直接インタビューし、自身のことや著作にまつわるエピソードなどを聞いてみた。 インタビューにおいてはまわりの音に邪魔されない静かな環境が希望とのことだったので、某レンタルスペースにて対面で実施。インタビュー中はとくにコミュニケーションにおける違和感はなく(強いて言うなら目が合わなかったことくらいで)、本人が自分の言葉で真っすぐに回答していたのが印象強かったことを付記しておく。 ――まずは簡単に自己紹介をお願いします。 藤田壮眞、高校1年生です。僕は4歳のときにASD(自閉スペクトラム症)と診断されました。幼稚園のころは「自分がまわりと違う」とか感じてなくて、単に暴走している状態でした。今思えば変なところだらけなんですけど、よりハッキリ違いが出てきたのは小学校低学年あたりで、「整列しましょう」と言われているのに一人だけずっとブランコに乗ってたりとか。中学あたりで「僕ってこんなに(まわりと)違ったんだ」ってわかりました。 好きなことはパソコン。中学のときにお母さんのパソコンを借りてイラストとか描いてました。それも楽しかったんですけど、パソコンの構造とかが気になってきて。中学校で(まわりと)パソコンの話をしていくうちに、だんだんパソコンが好きになりました。 ――小さいころの行動は、今となっては違和感がある? 違和感があります。自宅のパソコンに残ってたんですけど、幼稚園の運動会のときに演技を失敗して転んじゃって、そのあとで全速力でお母さんのところに走って、そのまま(お母さんを)蹴り上げてたんですよ。そういう映像を見て、今は自分で「えっ?」って思うんですけど、当時は「お母さんは壊れないもの」という認識があって、たぶんそんな感じでやった気がします。あと、卒園式のときにウロウロ立って歩いていたりとか、入学式で脱走しようとして先生に止められたりとか、明らかにおかしいなと今はわかります。 ――現在の学校生活はどんな感じですか? 正直なところ、授業の受け方というのがいまだによくわからないのがつらいです。学力はなんとかしましょうという感じなんですが、小学校のときに授業中は床に寝てたりしていて、何も学ばないまま卒業しちゃったんで、それが今も後遺症みたいな感じで残っていてつらいなーって。 友達関係については僕の低身長をいじられるくらいで、いたって平和に過ごしています。 ――小学生時代にベースができていないから今もしんどい? はい。中学校も入学当初は本当に大変で、友達との付き合い方もよくわからなくて。新しい環境になれなくて、混乱したりしました。そういうことがあって「直していかなきゃ」と思っていて。今は修正段階なんだと思っています。 ――「自閉症」と聞くと、喋れなかったり、じっと座っていられなかったりすることをイメージする人も多いかと思いますが、今の藤田さんはそういう感じではありません。自閉症の中でも特殊なのでしょうか? かかりつけの精神科では「何らかの能力を使って会話(できる能力)を補填している」と言われました。でも今も友達と会話すると「お前は日本人じゃない」って言われるし、お母さんにも「今言ったでしょ!」と何回も怒られたりします。自分でしっかり意識して話すことが難しいです。 高校になってからは少しマシになりました。「これはいい」「これはダメ」ということを中学3年間で学び直したんで。小学生のときは支援級で感情とか集団行動とかを習ってたんですけど、まじめには聞けなくて。「しょーもねーな」って感じで反抗心がすごかったんですけど、中学になってからは「これって大事だな」って思い直しました。 ――文部科学大臣賞を受賞した作文「自閉症を持つ私から見た日常」が昨年話題になりました。作文はもともと得意な方ですか? 小1のときに作文を書いたことがあって、覚えているのは「面倒くさい」「なんでこんなことやってるの?」という気持ちです。小6までは「とりあえずやっとけばいいか」くらいに思っていて、文章を書くのは面倒くさくてやりたくなかったという感じでした。 中学のときに、僕と似た障害を持った人が作文で賞をもらっているのを知って、「じゃあ自分もこの題材で書いてみるか」って感じで書いてみました。で、そのとき、いきなり作文用紙に書いたら絶望するほどの出来で。作文用紙は無駄になるし、僕自身も心が折れるから、何度でも修正がきくパソコンでやろうと思って、そこからはパソコンで書くようになりました。タイプして直す、を何回も何回も繰り返します。 今は文章を書くのは好きなんですけど、思い出を語ろうとすると昔の記憶がフラッシュバックしてつらいことも多いです。(受賞した)作文を書いているときは、かなり不機嫌になりながら書きました。 今回の本の執筆では文以外に絵(イラスト)も描きました。文を書くのは気持ち的にかなりつらくなったりもするんですけど、絵を描くと自分の気持ちを取り戻せます。文は現実と戦っている感じで、絵は現実のパロディなので、文を書いて気持ちが下がったら絵を描いて、というのを繰り返して。絵のおかげでメンタルを持ち直した感じがありました。 ――中学受験でも作文があったそうですが、それについてはどう思いましたか? うれしいことではなかったですが、でも希望する学校に行くためには頑張らなきゃと思って、とりあえず「やる」「やる」「やる」「やる」という気持ちで向き合いました。小学校のときは好きではなかったんですけど、それでも塾で作文を褒められたこともありました。でも適当にやってたんで、中学の受験で作文とあって「やばい」って焦って。 対策のために練習をするんですけど、まあ、口語になっているし、誤字脱字も多いし、話が重複しまくってるしで。まるで僕の鏡みたいな感じになっちゃっていて。それに対して、先生が誤字脱字を直してくれて、作文のノウハウをイチからたたき込んでくれた感じでした。 お母さんに言われたのはまず「頭を真っ白にしていろんな視点から書いてみてください」というもので。僕、物事を一つの方向からしか見れないんで、「一方のことしか書かないから内容が重複するんだ」って言われて、「なるほど」と思って書いてみたらそれがうまくいって。そこで初めて作文を「おもしろい」と感じました。 中学受験を合格したあとも課題があって、そこでも文を書かなければならなかったんですが、そのあたりからは文章に対して前向きになりました。一年間限定の作文課題で、「一日の終わりにこのお題で書いてみましょう」というのがあったんですけど、それを提出していくうちに文の書き方を学んでいった感じです。 ――そしてご自身の著書が刊行となりましたが、率直な感想を聞かせてください。 正直、まだ信じられていないです。僕の思いって消えているんじゃないかなとか感じることがあって、ちょっとむなしかったりもしていて。誰かに僕のことを知ってもらいたい一心で中3のときに作文を書いてみたら、そのときにバーッと広がって賞までもらえました。「こんな風に受け取ってくれる人がいるんだ」って、ちょっとうれしかったんですよ。 今回は作文ではなくて本になって、僕の気持ちのスペースが書店にできるというのがうれしくて。買った人が読んでくれたり、本棚に入れてくれるっていうのは、僕の気持ちを理解してくれる場所を作ってくれるっていう風に認識していて、それがうれしいなと思います。 ――「わたしは、あなたとわたしの区別がつかない」というタイトルに込められた意味を教えてください。 これが僕の一番の特性なんだろうなと思ってこのタイトルにしました。最初に感じたのは小6のときで、「自分とお母さんとその他」ってマップを書いたんですよ。そのときに「あれ?待てよ」と思って。お母さんに日々いろいろと喋るけど「え?知らないよ」と言われることがずっとあって。そのときに思っていたのは「いや、お母さんは知っているでしょ」っていう感じで。例えば今日学校で起こったことをまるで知っているかのように喋ってしまって、それは「僕とお母さんは同一人物である」「お母さんは僕のクローンであるからきっと知っているに違いない」という思考で。 今は自分と他者は違う人間だという区別が一応ついているんですが、それがわかったのも中学時代に教科書を配られたときで。風景だと思っていたまわりが次々に教科書に名前を書いていって、「あれ、ちょっと待てよ、人じゃん」ってそのときに生まれて初めて気づいて。 中2、中3になっていくにつれて、友達との接し方もマニュアル車みたいにガチャガチャガチャとシフトコントロールして喋るということを学んでいって、友達って「怒っているときはこのように話さなければいけない」「笑っているときはこう」「悲しんでいるときはこう」というルールを作っていくうちに、「気持ちを持っているんだな」ってわかりました。 幼稚園のころに見た図鑑の中に「人間とは」という難しい欄があって、そのときにその記憶とくっついて「あ、(まわりはみんな)一人の人間なんだな」って気づいて、今にいたっています。でも、まだ今も頭ではわかっているけど、少しあいまいに感じる部分はあります。 ――自閉症の特性を持ちながらの執筆について「どんな風に書いているのだろう」と気になる人もいるかと思います。今回の本の執筆の仕方、過程について教えてください。 「まずこの章を書きます」と自分で設定したら、とりあえずノートにダーッと(思いつく)単語を書き出していきました。書き出したらとりあえず必要なものに丸をつけていって、使わなかったものももしかしたら後で使うかもしれないので付箋に書いておいて保留しておきました。 そのあとパソコンに向かって文章を打ち込んでいくんですけど、書いたり消したり追加したりを繰り返して、やっと出来上がったなというところで自分で一度読みます。読んだときにちょっと変だなと思ったら直していきます。で、お母さんにも「これどう思う?」って見せます。「ここ変じゃない?」とか言ってくれるんですけど、そのときに怒ってしまうんですよね。自分で聞いておきながら、お母さんに反抗的な気持ちになって。そうやって不機嫌になったときは、絵を描いて持ち直していました。 ――執筆にあたっての苦労話があれば教えてください。 いくつもあるんですが、とくに中学校の最初のころのことを書くのが本当に大変で。一番しんどかった時期なんで、それを思い出すのはかなりつらくて。パソコンをバンバンと叩きながら書いていたというのが正直なところで。苛立ちながらも書いてを繰り返して。思い出したくないからパソコンを閉じて見ないフリすることもありました。 ――本のあとがきに「わたしたちは、ゆっくり成長するのだ。いつまでもずっと同じ自閉症ではない」とあります。自分から見てどんな風に成長できていると思いますか? まず床に寝なくて授業を聞けるようになった、人の話を聞けるようになった、というのが成長かなと思います。でも、いまだに授業の完全理解というのができていないし、お母さんに八つ当たりするし、挙動不審な対応をして友達から呆れられます。理由としてはお母さんに対するのと同じで、友達に対しても「自分が知っていることは知っている」と思って接してしまうから、それが違和感になって表れて。そのあたりは今後成長していきたいところです。 ――自分が自閉症であることをどんな風に考えていますか? これまでで一番逃げ出してしまいたかったことが自閉症でした。これさえなければ友達と遊べた、車にもぶつからなかった、こんな不自由さを感じることもないし、まわりからの不信感も招かなかったって、ずっとマイナス思考でした。ただ、この本を書いてからはわりとプラス思考になって。「違う自分を許すことなんだね」っていう結論にいたった感じで。 自閉症であることからは逃げられないし、逃げようとしてもついてきちゃって離れられない存在なんで、じゃあ一緒に生きていくしかないよねって感じです。自閉症を抱えた小さい子が自分の中にいて、それを冷静に捉える僕もいる。そんな感じで考えています。 ――最後に読者へのメッセージがあればお願いします。 自閉症にもいろんなタイプがいることを知ってもらえたらうれしいです。僕なんかは「お前、自閉症じゃないだろ」とか言われるし、精神科でも珍しいタイプと言われるんですけど、こういう自閉症もいるっていうことも知ってほしいなって。僕の気持ちが伝わったらいいなって。それでも僕は自閉症の当事者なんでこういう風に考えているよっていうのがわかってもらえたらいいなって。そんな風に思います。