今こそ「石橋湛山」を学べ! 国民が愛想を尽かし、与党が過半数割れした今、見直すべき"保守本流"の思想とは――。
旧統一教会との関係や裏金問題で国民の強い批判を浴び、先の衆院選では15年ぶりに過半数割れに陥った自公政権。厳しい状況での船出を強いられた石破茂新総裁の下、果たして自民党の再生は可能なのか? 【写真】首相になるも過労で急性肺炎となり、わずか65日で退任した石橋湛山 そうした中、今、国内外から静かな注目を集めているのが戦前はジャーナリストとして、戦後は政治家として活躍し、岸信介(のぶすけ)のライバルとして結党間もない自民党の総裁を務めた石橋湛山(いしばし・たんざん)だ。 自民党"保守本流"の源流ともいわれる石橋湛山の思想とはなんなのか? 90年代に細川(護煕[もりひろ])政権や自社さきがけ政権を支え、「湛山の孫弟子」を自任する元衆議院議員の田中秀征(しゅうせい)と、湛山に関する著作もある評論家の佐高信(まこと)の両氏が保守再生の可能性を"湛山イズム"に探るのが、本書『石橋湛山を語る いまよみがえる保守本流の真髄』だ。 ■"保守本流"と"自民党本流" ――田中さんは本書の中で戦後の保守政治を、石橋湛山の流れを汲む"保守本流"と、岸信介に代表される"自民党本流"という、ふたつの大きな流れに分けて論じています。 田中 今の「自民党」は1955年の「保守合同」によって、当時の自由党と民主党が合流して誕生した政党です。 その中で、"保守本流"というのは1945年(昭和20年)に結成された「自由党」の流れを汲む人たちを指し、その多くが後の自民党「宏池会」(岸田派)へと引き継がれていく。 一方の"自民党本流"というのは私の造語ですが、こちらは岸信介が率いる「民主党」(1954年結成)の流れで後の「清和会」(安倍派)へとつながります。 ちなみに、55年の「保守合同」は岸の民主党が主導権を取る形で進んだのですが、56年の総裁選ではその岸にわずか7票差で石橋が勝利。 こうして首相となった石橋湛山ですが、不運にも病気のため、翌57年に首相在任期間わずか65日で退陣。代わりに首相となった岸がその後の1960年代にかけて自民党を主導することになります。