今こそ「石橋湛山」を学べ! 国民が愛想を尽かし、与党が過半数割れした今、見直すべき"保守本流"の思想とは――。
――ある意味、戦後政治の大きな分かれ目にも感じられる話ですが、同じ「保守」でも湛山の"保守本流"と岸の"自民党本流"では何が違うのでしょう? 田中 まず、明確に分かれるのは先の大戦を巡る歴史認識の違いです。先の戦争、植民地支配など戦前の国策を間違いだったと考えるのが"保守本流"で、特に湛山はジャーナリストだった戦前から「小日本主義」を唱え、日本の植民地支配を批判してきた。 そんな湛山にとっては「敗戦」も、戦前から続いた国策の過ちを断ち切り、希望に満ちた日本を再建するための出発点だと、前向きにとらえられていたのです。 一方、戦前の日本の国策を間違いだと認めたり、否定したりするのをためらうのが岸に代表される"自民党本流"で、その岸が主導して55年の結党時に採択された自民党の綱領には先の戦争に対する反省についてひと言も触れられておらず、新憲法を米国の押しつけ憲法と否定し、再軍備に道を開く「自主憲法制定」を前面に打ち出した綱領でした。当時、まだ中学生だった私もそのことに大きな衝撃を受けたのを覚えています。 佐高 田中さんは自民党の国会議員1年目に、この綱領を改正しようとして、怪文書攻撃を受けるなど、大変な目に遭ったんですよね。ちなみに両者は歴史認識だけでなく、経済政策の考え方も大きく違いますね。湛山の流れを汲む"保守本流"は「経済=国民の暮らしの向上」という経済観を基本にしている。 田中 そう。だから"自民党本流"の関心が「国家経済の動向」に向くのに対して、"保守本流"の関心は常に「国民生活」に向けられている。そうした湛山流の経済観は後に「所得倍増計画」を打ち出した池田勇人(はやと)や「生活大国の実現」を訴えた宮澤喜一ら、"保守本流"のリーダーたちに引き継がれてきました。 佐高 その意味で言うと、田中角栄も間違いなく湛山の後継者だと言えますね。 田中 一方で、"保守本流"の政治家たちは、社会の中には自分たちの自由で積極的な経済政策によって傷つく人たちがいることもわかっている。だから、そうした人々の問題に注目し、声を上げる存在としての「野党」の存在や、彼らの「理由ある異論」の大切さを理解していたんだと思う。 湛山の思想的後継者のひとりである宮澤喜一が当時、野党第1党だった社会党について「社会党というのは、なかったらわざわざつくらなきゃいけないぐらい必要な存在だ」と語っていたのも、"保守本流"の政治家が野党による異論を民主主義にとって、絶対に欠かせない大事な要素だと考えていたからです。