世界最古の企業「勝ち残る資格と使命」…宮大工1400年の技守る
金剛組・多田俊彦会長インタビュー
観光名所の社寺が訪日外国人客らでにぎわっている。長い歴史を誇る各地の社寺は、観光振興の柱として期待されるが、檀家(だんか)や氏子の減少を受け、社寺建築市場は縮小が続く。宮大工の後継者不足も深刻だ。社寺を始めとする貴重な伝統建築をいかに守り伝えるか。国内有数の宮大工集団を抱え、世界最古の企業としても知られる金剛組の多田俊彦会長に聞いた。(聞き手 船木七月) 【画像】金剛組専属の宮大工(金剛組提供)
厳しい環境でも必要な市場
国土交通省の建築着工統計によると、社寺など「宗教用建築物」の2023年度の総工事費(予定)は561億円で、10年前の約半分に減った。 葬儀の簡素化や墓じまいの増加といった宗教観の変化を受け、運営の基盤となる「浄財」が集まらなくなっていることが大きい。社寺を取り巻く環境が厳しいということは、我々の経営にも大きな影響が出るということだ。
ただ、「成熟産業」や「斜陽産業」と呼ばれるような業界でも、必要な市場であればなくなることはない。そこで最後に残ったものが「勝ち組」になれる。1400年以上の歴史を背負い、総勢100人の宮大工集団を擁する金剛組には、勝ち残る資格と使命があると思っている。
廃仏毀釈、昭和恐慌…高度成長期に一般建築進出で赤字
歴史をひもとけば、飛鳥時代、聖徳太子が四天王寺(大阪市)建立のため、百済から招いた「造寺工(工匠)」の一人が初代当主の金剛重光だった。それ以降、現在の41代目まで、金剛家の当主が四天王寺の伽藍(がらん)をお守りする「お抱え大工」の役割を担っている。四天王寺は「生みの親」であり「育ての親」である。 危機は3回あった。最初は、仏教を排除する廃仏毀釈(きしゃく)が吹き荒れた明治期だ。四天王寺が寺領を失ったことなどで、頂戴していた「禄(ろく)」が打ち切られ、他の社寺の仕事も請け負わざるを得なくなった。
昭和恐慌時も経営が困窮し、37代当主が「祖先に申し訳が立たない」と、先祖代々の墓前で自害した。後を継いだ妻が初の女性棟梁(とうりょう)として奔走し、経営を立て直した。 最後が高度成長期にマンションなど一般建築へ進出したことだ。不慣れな仕事で赤字受注を重ねた。負債が膨らみ、06年、高松建設(現・高松コンストラクショングループ)の傘下に入った。 その後は、高松グループ出身者が社長を務めている。金剛家の当主は、直接経営には携わらないが、象徴として宮大工集団の精神的な支柱となっている。