侵攻から2年 終わりの見えない戦闘 ウクライナ人の領土断念という「不確かな選択肢」の意味 #平和を願って
一方、祖母は長年暮らした場所への思いを断ち切れないでいるという。 「おばあちゃんはずっと『マリウポリが恋しい。帰りたい』と言っています。私はあまり自分のつらさはおばあちゃんに見せず、彼女の話を聞いて支えるようにしています」 一度、祖母がマリウポリまで戻るチケットを買おうとしたことがあった。マリウポリに帰らないように父親と必死に説得したという。一度戻れば、もう二度とキーウには戻ってこられない可能性があるためだ。ただし、カテリーナの母親は今もマリウポリで暮らしている。 「母は私たちと一緒に一度はマリウポリから逃げたんです。でも『自宅が心配だから』と、避難して3カ月ほど経った2022年6月にマリウポリへ戻ってしまった。私はとても怒ったし、数カ月ずっとつらかった。でも今は、なるようにしかならないと思うようにしています」
母親の話によると、状況はよくなく、最近のマリウポリには電気も通って食料もあるが、物価が高くなり、酔っ払ったロシア兵があちこちにいて、若い女性に嫌がらせをしているという。
攻撃続くキーウ 空襲警報に慣れてしまった娘
アレクサンドル・ミハイレンコ(45)とはキーウで話を聞いて以来、2年ぶりに連絡を取った。彼はドネツク出身で、2014年にドネツクが親ロシア派に占拠されたことを受けて避難、キーウで家族と暮らしていた。 「2年の間にあったよいことは息子が生まれたことだね。悪いことは20年来の友人が従軍して亡くなったことだ」
キーウの街の様子についてアレクサンドルは、昨年の5月が特にドローンやミサイルによる攻撃がひどかったと振り返った。 「子どもたちの精神状態が心配だった。隣のマンションが攻撃されて2階がほぼ焼けてなくなってしまった。自分のマンションの前にドローンの破片が落ちていたこともある。娘は今では空襲警報が鳴っても、気にせず寝るようになった。慣れるしかないんだ」 アメリカなどが提供する防空システムのおかげで現在は、市街が被害を受ける回数は減った。しかしその分、一つひとつの攻撃の規模が大きくなったと感じている。この年末年始の攻撃は特に激しかったという。