侵攻から2年 終わりの見えない戦闘 ウクライナ人の領土断念という「不確かな選択肢」の意味 #平和を願って
ドネツク州バフムトは、領土奪還を目指すウクライナ軍と民間軍事会社ワグネルが加わったロシア軍との間で激しい戦闘が繰り広げられた場所でもある。しかし、住み慣れた場所を離れたくないという思いから避難せずに残り続ける住民も5000人近くいたという。多くは地下シェルターで日々を過ごしていた。マキシムにはシェルターで見た忘れられない光景がある。 「昨年1月ごろのこと。そのシェルターには大きなプロジェクターがあってテレビ映像が流れていた。まだクリスマスムードが残っていて明るい内容のコマーシャルや、ゼレンスキー大統領の新年の挨拶が映っていた。慰問に来た教会の人たちは希望についての歌を歌っていた。でも、それを見ているシェルターの人たちはみなボロボロの服を着て疲れ切って座っているんだ。みんな死んだような表情だった。明日ミサイルに当たって死んでも構わない、というようなね。本当にシュールな、奇妙な光景だったよ」
怒りとも悲しみとも違う感情をマキシムは口にした。2年という月日が経ち、しかしこの先どこに向かうかわからない戦争に人々は翻弄されていた。 ここ最近、マキシムは自分の生活に時間を使うことが増えたという。NGO活動も資金不足で継続できなくなり、また占領地から避難民が逃げて来られなくなったからだ。 「みな疲れてきている。燃え尽きてしまったような感じさ。自分たちの世界は、他の世界から隔絶されているみたい。でも、やれることがあったらやるし、今は知り合いが運営しているシェルターをときどき手伝いに訪ねてもいる」
マリウポリを思い出すのがつらい孫と帰りたい祖母
マキシムが以前、ボランティアとして英語を教えていた大学生、カテリーナ・イブチェンコ(17)は、アゾフ海に面したウクライナ南部マリウポリからの避難民だ。
マリウポリは、ロシア軍によって激しい包囲攻撃が行われ、製鉄所をめぐる攻防のほか、産科病院への攻撃や多数の民間人が避難した劇場への爆撃などが報じられた街だ。現在はロシアの実効支配下にある。カテリーナは今、首都キーウの大学に通いながら、ともにマリウポリから避難してきた71歳の祖母、一足早くマリウポリを出ていた父親と暮らしている。「空襲警報があること以外、日常生活にそれほど問題はない」とは言うが、精神的な苦しさを抱えていた。 「大学には(東部の)ハルキウやドンバスから避難してきた人たちもいて、彼らは逃げてきたときのことを話します。でも、私はマリウポリのことはあまり話しません。思い出すとつらいから。私が『マリウポリ出身』とわかると友達も察してくれて、それ以上は聞いてきません」