サッカー日本代表を救った前園、中田、そして「日清ラ王」!?90年代を席捲した生タイプめんの技術革新、1992年9月21日発売【食品産業あの日あの時】
「ヒデ、ラーメン食いたくねえ?」「行くか、ゾノ!」 1996年、アトランタ・オリンピック出場を控えた前園真聖(当時22歳。当時横浜フリューゲルス)と中田英寿(当時19歳、ベルマーレ平塚)は「日清ラ王」(日清食品)のCMに出演した。空腹を持て余した二人はラーメン店ではなくコンビニの店頭に走り、「日清ラ王」に手を伸ばす。すでに所属チームで主力として活躍していた二人をサッカー選手としてでなく、どこにでもいる若者として描いたこのCMは、サッカーファンのみならず幅広い層の共感を生んだ。 おりからのラーメン店ブームを受け、90年代はインスタント麺にも本格志向の商品が急増した。生タイプめんを採用した「日清ラ王」はその代表的存在だった。
カップ入り生タイプめんはうどんから始まった。1977年8月には寿がきやが「生タイプ天ぷらカップうどん」を発売しているが、全国的には1989年11月に発売された島田屋本店(現・シマダヤ)の「真打ちうどん」が端緒と言われる。1990年9月には明星食品が「明星 夜食亭生タイプきつねうどん」「同・天ぷらうどん」を発売している。 なぜ、うどんだったのか。生タイプめんの特徴は何といっても麺のみずみずしさとコシだ。水分を多く含んだ麺を常温で保存するためには酸を使って滅菌する必要があるが、中華麺に欠かせないかんすいはアルカリ性で、酸性化処理を施すと麺のコシやねばりが失われてしまう。このため各社は生タイプめんのラーメンの商品化に苦戦していた。
この課題を解決するため、日清食品は原材料粉の配合を見直すとともに、独自の製麺機を用いた「スーパーネットワーク製法」を開発。さらに質感の異なる麺をサンドイッチ状に張り合わせる「三層めん製法」の技術と組み合わせることで、中華麺ならではのおいしさと保存性を両立させることに成功した。「ラ王」のブランド名の由来は公式サイトによれば“ラーメンの王様”だが、「日清ラ王」発売より少し前の1990年、松下電器(現パナソニック)が家庭用テレビ「画王」を発売し、津川雅彦が「テレビじゃ、画王じゃ!」と叫ぶCMが話題となっていたことは指摘しておくべきだろう。
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