「いらんわ、帰れ」 岡山操山高校・男子生徒の自殺から12年「見舞金」支給決定も…遺族の戦いは終わらず
●「もう俺はマネージャーじゃない。存在してるだけ」
練習後のミーティングが終わると、男子生徒は1人だけホームベース付近に残された。監督から「マネージャーなんだからマネージャーの仕事をしろ」と叱責された。 帰宅途中、ほかの部員との話の中で、男子生徒は「俺はもうマネージャーじゃない。存在するだけだ」と述べ、立ち去った。 午後6時30分ごろ帰宅するが、家族と会うことなく、自転車で自宅を出た。その後、自殺したと思われる。死亡推定時刻は午後8時ごろとされている。 「最後の息子の言葉は存在価値を否定されたのが原因だと思います。監督の悪い行いの調査報告書への反映率は60%くらいでしょうか。 調査委員会の設置が事件発生後6年以上も経過しているため、生徒のみなさんの記憶が薄れたり、息子の死後、同年10月までの態度をやや改めた監督の記憶に置き換わっていたりしているようです。 事件発生直後に私たちが生徒から直接聴き取った情報がすべては事実認定されず、残念でなりません。また、新たな情報はほぼありませんでした」(父親)
●支給決定までの労力は「半端なかった」
報告書が完成した約1年後の2022年2月、JSCに災害共済給付が初回申請された。 「納得できる書類を整えるのに時間がかかりました。JSCへの申請は遺族からではなく、県教委からを選択したためです。学校・県教委とやりとりを繰り返しましたが、なかなか思うような書類を作ってくれません。提出書類をJSCに提出前に何度も確認・修正依頼をしました。 調査報告書にある言葉を使ってはいるのですが、事件加害者としての責任をあくまで認めようとしない姿勢を崩さない状態が半年以上は続きました。そのやりとりを経てようやく申請書を出しました」(父親) 2023年7月、JSCに生前の受診歴がなく、「故意の死亡」とされ、不支給の決定を下されたため、10月に調査委員会の委員である精神科医の意見書を添えた不服審査請求を出した。 その後、JSCへの問合せや開示請求の結果を踏まえ、2024年7月、審査における問題点や新たな精神科医の意見書を添えた遺族意見書を提出した。その結果、同年9月、逆転で全額支給が決まった。 男子生徒が亡くなって12年以上、最初にJSCに申請をしてから2年7カ月が経っていた。 「県教委以外の公的機関が、息子の自死と野球部監督の指導との直接因果関係を認めたことは大変重く、意義深いです。息子と同様の自死事件で、死亡見舞金不支給決定に対する全国のご遺族たちが、長きにわたって苦難の活動を積み重ねたからこそ、逆転決定につながったのだろうと考えています。 しかし、遺族がここまで努力をしないといけないのは大変な苦痛です。労力も半端ありません。時間的にも精神的に徒労に終わることもありました。死亡見舞金の支給を受けるには、苦労がかなりいるだろうと想定していたので、できれば避けたかったのですが、あとに続く遺族の力にもなるという気持ちが大きな後押しになり、最後までやり続けました」(父親)