「いらんわ、帰れ」 岡山操山高校・男子生徒の自殺から12年「見舞金」支給決定も…遺族の戦いは終わらず
●「もう耐えられない。もう嫌じゃ」と退部した
報告書などによると、野球部の監督は、部員に「ペナルティ」としてランニングやベースランニングをさせていた。 たとえば練習試合でコールド負けした場合、外野のフェアゾーン間を得点差の分、往復で走らせた。野球道具の片付けができていないときも罰として走らせた。 男子生徒に対しても叱責が続いて、体調不良による早退もあった。2012年5月の鳥取県での練習試合前、ノックに参加したときに外野からの返球が監督に当たった。監督が連続して捕球しにくい打球を打つ、恒例の「エンジョイタイム」が始まった。 サードの守備位置にいた男子生徒は、その対象になった。ノックが過酷だったため、バテて声が出なくなると、監督は「声を出せ」「気合いがないのなら帰れ」「いらんわ、おまえなんか制服に着替えて帰れ」などと怒鳴られ、男子生徒は県外から帰ることもできず、ベンチの外で一日を過ごすしかなかった。この日以外にも、プレイでミスをした結果だけで責められた。 同年6月、男子生徒は帰宅後、母親に「もう耐えられない。もう嫌じゃ。もう辞める」と一度退部する。7月になって、3年生が引退すると、不在となるマネージャーとして復帰することを考えた。同学年の部員全員にメールをしたところ、歓迎するような返信内容だったという。
●自殺3日前に「マネージャー」として野球部に戻った
自殺の3日前にあたる7月23日、男子生徒は野球部の朝練に顔を出した。監督は当初、マネージャーとして戻る話に取り合わなかったが、もう一度、男子生徒が懇願すると「もうやめられんぞ」と復帰を認めた。 しかし、この日の練習後のミーティングで、何も発言せず座っていた男子生徒に対して、監督は「マネージャーなら自分から気づいて板書くらいしろ。それぐらい気遣いができんとマネージャーじゃねえで」と強い口調で叱った。監督から男子マネージャーの役割についての説明は一切なかった。 7月24日、男子生徒は炎天下の練習に参加。最高気温は33.2℃、午後8時まで30℃を超えるような日で、熱中症の症状となった部員もいた。男子生徒は、その部員を保健室まで連れて行くが、監督は無断で連れて行ったと激怒した。 7月25日も猛暑で、監督によるノックが午後1時30分から3時間続いた。監督は男子生徒に対して、ほかの部員が聞いている中で「男子だし、マネージャーだったら声を出せ。声を出さなかったらマネージャーの存在価値はねーんじゃ」と叱責した。