きゃりーぱみゅぱみゅ、新しい学校のリーダーズ…日本の「原宿カルチャー」を築いたアソビシステムの次なるビジョン
原宿における人出の増加と、新旧の街並みの対比
きゃりーぱみゅぱみゅの登場により、2010年代の原宿は「KAWAIIカルチャー」の場所として、世界から注目されるようになった。これまでの元気な若者が集まる場所としての原宿ではなく、「クールジャパン」の言葉とともに、カルチャーの中心地としての認識が高まっていったのだ。
80年代のマンションメーカーの登場や、90年代後半の裏原ブランドのブームなど、それまでの原宿はさまざまなブームによって街が形成されていたが、2010年代にはクリエイティブな側面がよりフォーカスされ、ブームはカルチャーに変化を遂げた。 当時の原宿といえば、街全体がポップでカラフルな印象が強かったが、現在の原宿はどのように変化してきていると感じているのだろうか。 「現在の原宿は、インバウンドの影響がさらに強まっています。コロナ禍が終息してからは、平日の昼間からでも歩行者で混雑し、2010年代と比べると状況が大きく異なっていますね。 観光客の数が格段に増えたことで、原宿に多種多様な人々が集まる光景が日常的なものとなり、インバウンドの街として認識されるようになってきました。かつてはそうした印象はあまりありませんでしたが、今や原宿は外国人観光客が集まる街というイメージが定着してきていると感じます」 東京の中でも、原宿ほどスピードを感じる街もそうないだろう。2010年から振り返っても、原宿はかなりの変貌を遂げてきた。 その過程の中で、東日本大震災、コロナ禍と大きなダメージを経て今の原宿の姿がある。 現在の原宿の竹下通りは、韓国と日本のカルチャーがミックスされ、今年の4月には新商業施設として、東急プラザ原宿「ハラカド」が表参道と明治通りが交差する神宮前交差点にグランドオープンし、新たな盛り上がりを見せている。
「原宿が特殊に感じられるのは、表通りにはビルが立ち並ぶ一方で、裏手にはストリートがいくつも残されているという対照的な街並みにあります。このように、不老的な価値観が共存する街が原宿の特徴です。ラフォーレ原宿のビルが街を象徴するランドマークとなっているのも原宿らしさといえるでしょう。 最近は『ハラカド』がオープンするなど、街自体は発展を続けていますが、裏手のストリート地区は変わらず残されています。変化する場所と変わらない場所が共存し続けるところに、互いへのリスペクトのようなものを感じます。