『大吉原展』から考える―「江戸文化の集積地」吉原遊郭の歴史をいかに伝えるか
花魁の「品格」
「出品される絵の多くがにぎわいの空間を描き、見ているだけでさまざまな声や音が聞こえてくるようです。おしゃべりをしている様子や、三味線と唄に舞、宴会の場面などが細かく描き込まれています」と田中氏は解説する。 「着物の柄、着重ね方、かんざしと髪型のつりあいなどを丁寧に描き、女性のセンスの良さを表現しました。また、遊女の豪華な装いを見ると、当時の職人がその技を最大限に発揮して作っていることが分かります」 浮世絵師が描こうとしたのは、遊女の似顔絵や裸体ではない。「絵師たちが遊女の“品格”を描いていることをぜひ感じ取ってほしい。江戸時代初期、俳人・浮世草紙作者の井原西鶴が大坂(※1)の遊郭を舞台に、毅然とした遊女たちの姿を文章で描きました。後期になると、江戸の浮世絵師たちが、遊女の品格を絵にすることで自らの美意識を表現したのです」 遊女の最高ランクである花魁(おいらん)は、美貌やセンスの良さはもちろん、三味線など楽器を弾きこなし、お茶、お花もできて、教養があり、大名や豪商を完ぺきにもてなせる女性という理想化されたイメージだ。「実際の遊女たちも、その理想像に近付こうと意識していたかもしれません」 (※1) 本文中では江戸時代の「大坂」を使用
出版文化を育んだ場所
幕府公認の遊郭は、京都や大坂などにもあり、「好色一代男」など、西鶴の著述の舞台にもなっている。だが、18~19世紀を通じてもっとも文芸と深く関わったのは江戸吉原だった。 「まさに、文学が生まれた場所でした。遊郭に出入りしている人たちの中には、戯作者の山東京伝や浮世絵師がいましたし、蔦重の出版社などを通じて、ジャンルを超えたネットワークも生まれました」(田中氏) 「例えば、浮世絵師と文学者が知り合い、お互いに協力して作品を生み出しました。彫り師と摺(すり)師など、印刷職人とも、出版社を通じてつながります。吉原大門の手前にあった蔦屋の店先がそういうネットワークづくりに使われただろうということは容易に想像できます」