『大吉原展』から考える―「江戸文化の集積地」吉原遊郭の歴史をいかに伝えるか
江戸絵画が描いた吉原の世界観
吉原では、年中行事の演出にも工夫が凝らされた。例えば旧暦7月(新暦8月)のお盆の時期には、茶屋(客に遊女を斡旋する店)に有名な画家や書家の手による灯籠がつるされ、町全体が美術館になる。 旧暦8月(新暦9月)に開催される「俄(にわか)」の祭は、1カ月続き、毎日「踊り屋台」が現れて、男芸者、女芸者衆の踊りと唄を楽しめた。 「仲之町通り(吉原のメイン通り)に沿って山車を出すので、吉原芸者たちの優れた芸を、誰でも見ることができました」(田中氏) 中でも一番華やかなのは、桜の季節だ。仲之町通りの中央にある植え込みに、開花前の根付きの桜を用意して整然と移植し、散ると撤去する。江戸の植木職人の活躍があってこそ可能な仕掛けだった。 米ワズワース・アテネウム美術館から里帰りした『吉原の花』は、歌麿の肉筆画でも最大級の作品だ。桜を愛でながら宴会を楽しむ総勢52人の女性たちが描かれる。 だが、「特別な一点ではなく、作品をどう並べているか、その流れを見てほしい」と言うのは、東京芸術大学美術館の古田亮教授だ。「さまざまなイベントに彩られた吉原の春夏秋冬を感じ取ることができるはずです」 古田教授自身が興味を引かれたのは、吉原の桜並木を巡る変化だ。「ある時期まで、茶屋の前に無作為に植えられていたのに、いつ頃からか仲之町通りの中央に整然と並ぶようになりました。文献には記されていない変化です」 「今回集めてきた絵の制作年代から判断すると、寛政5年前後、ちょうど『吉原の花』が描かれたころにシステムが生まれているようです。自治が機能していて、街全体で合意に達したのでしょう。その結果として、寛政年間、蔦重や歌麿が活躍したころに、華やかな桜並木が登場するようになったのだと思われます」 古田教授によれば、250年の歴史の中で吉原のシステムは変遷しているが、系統だって検証できる文献史料はない。「だからこそ、今となっては二度と見られない世界を、美術作品を通じて再発見したかったのです」