「両親は老いる見本」92歳の父・要支援2の母を介護する編集者が見た“年をとる”ということ
親の自立を妨げずコミュニケーションは密に
両親のことを心配する一田さんだったが、救いだったのが2人の“夫婦として生きる力”の強さだったという。 かかりつけの整形外科から大学病院を経て、ペインクリニックにたどり着いた母。痛みの出ている神経に局部麻酔薬を打つ「ブロック注射」をしてもらい、やっと普通の生活ができるようになった。今は父に付き添われ、月1回、注射のために通っている。 「2人はできる範囲で地道に動き、時間がかかってもそのときの最適解を見つけようとしています。問題を解決するのは結局、何歳になっても自分自身だということ。人任せにせず、能動的に行動する大切さを、この年になって教えられたなぁと」 母には「要支援2」の介護認定があるため、現在は週に2回、介護ヘルパーが来て浴室やトイレなどの掃除をしている。買い物は週1回、夫婦で連れ立ってバスでスーパーに行き、生鮮食品以外の重い荷物は配送を手配する。 もうしばらくは自立生活を続けられると思っているが、「毎週日曜日」と決めているルーティンの電話など、こまめな連絡やサポートは一田さんの日常の一部となっている。 「年金生活では高価な嗜好品はあまり買わないだろうと、関西に出張に行く際は必ず立ち寄り、甘いものを差し入れています。また、日頃から両親が好きそうなものを見つけては送るように。単調になりがちな老夫婦の生活の、いい刺激になればうれしいですね」 宅配が届くと、父はその店をネットで調べているようで、メールでちょっと誇張した感謝や喜びの言葉が届く。 「娘に対して『心にかけてもらってうれしい』や『幸福だなあ』なんて、こっちが恥ずかしくなることも言ってくる。父も変わったなぁ、親子関係もずいぶん変わったなぁ、としみじみ思います」 今は良好な関係だが、若いころは両親が苦手だった。 「海外出張も多い昭和の企業戦士だった父は、見栄っ張りで威張りんぼ。権威主義的で私の話を聞かない人でした。19歳で結婚した専業主婦の母は、自己主張せずに黙って父や姑に従っているタイプ。当時の私にとって、2人は魅力的ではなくて」 しかし、家を出てひとり立ちしたのち、家事を完璧にこなしたり、安定した収入を得続ける難しさを知り、やっと両親が一田さんに与えてくれたものや愛情に気づいた。 「おそらく、若かった父は子どもへの接し方がわからなかったんだと思います。昔、コミュニケーション不足だった分を今、取り戻しているのかもしれません」 以前は誕生日や父の日、母の日にプレゼントを贈り合っていたが、体力や気力が衰えた両親には“お返しをしなければ”と、負担になっていたため、やめた。しかし、まったく何もしないのは寂しいため、代わりにファクスでのメッセージを送るようにしているが、「どこまでを望んでいるか」「どこが負担か」を見極めるのは、親の老後と向き合ううえで、大切なことだと考えている。