情報はインターネットがベスト、という考えに異を唱える。学生発信「金沢シーサイドFM」の挑戦
仕事の現場で奮闘するビジネスパーソンたちの魅力、スキルを“○○力”と名付けて、読者のみなさんにお届けしたい! 題して、連載「あのビジネスパーソンの『○○力』」。 今回登場するのは、地域限定のFM放送メディア「金沢シーサイドFM」を運営する、株式会社金沢シーサイドFMの共同代表取締役・松原勇稀さんと同社の吉田真優さん。 「金沢シーサイドFM」は学生起業のラジオ局として、2022年10月に開局。 “元気あふれるまちおこしラジオ局”として地域の魅力と最旬情報を発信するとともに、非常時には災害関連情報の発信ステーションとして存在感を発揮しています。 あらゆる情報がインターネット上にあふれる昨今、松原さんは「一周回って」ローカルなラジオのようなメディアにこそ強みがある…と語ります。 その発想に至った経緯として、まずは“松原さんが味わった大きな挫折”からお話ししてもらいました。 〈聞き手=天野俊吉(新R25副編集長)〉
「ナンバーワンにならないと意味がない」と思っていた野球青年に訪れた“挫折”
天野 松原さんがコミュニティFMに参入した経緯を教えてください。 もともとラジオ好きだったんですか? 松原さん いえいえ…僕はプロ野球選手を目指して、朝から晩まで野球漬けの人生を歩んでました。 野球部として関東学院大学(横浜市金沢区)に入って、趣味とかではなくプロ野球選手になるために野球をやっていました。 「やるなら、ナンバーワンにならないと意味がない」と思ってましたね。大学1年生ぐらいまでは、本気でプロになりたいし、自分ならなれると。 天野 おお… 松原さん でも、だんだんと「ムリだな」って思ってしまったんです。天井が見えてしまったというか。 「1年でこれぐらいの球速は出せるようになりたい」と思っていたのに、やればやるほど下がっていくんです。 天野 自分の限界にぶつかったと。 でも、強豪の野球部に入ってたら、レギュラーになれなくても“しがみついてしまう”人も多いと思いますが… 松原さん ムリでしたね。 野球が嫌になって、毎朝起きるたびに嗚咽していたので。 結局1年で挫折しました。 しばらくは放心状態で過ごしていたんですが… それと同時に、“このまま野球を続けていても幸せになれない”という感覚があったんです。この夢から離れたほうがいいだろうなという。 自分のキャリアを考えるなか、たまたま、所属していたゼミでローカルラジオ局の研究をしていたんです。 天野 ほう。 松原さん 2019年に私たちの住む街を台風19号が襲って… 金沢区には臨海部に工業地帯があるんですが、高波や浸水で250億円くらいの被害を受けました。 天野 250億円!? 不勉強ながら、そんな被害があったのも認識してなかったかも… 松原さん 電話やPCなどの通信機器も一切使えなくなって。 そのとき、工業地帯の企業や住民の方々から、災害情報や、被害から復興するための地域活性化につながる情報を伝えるメディアがほしい、という声をいただいたんです。 コミュニティラジオが地域活性化にものすごく役に立つことが大学の研究でわかっていたので。 そこで、もともと大学内でやっていたミニFMを僕が引き継いで、ベンチャーというかたちで事業化したという流れです。 学生が立ち上げたラジオ局は珍しくて。今も現役大学生が番組を持って、情報発信しているんですよ。