陸上100mのシンデレラボーイ・多田修平を生み出した夢プロジェクト
ダークホース的な存在だった18歳のサニブラウン・ハキーム(東京都陸協)が100mと200mをともに自己ベストで制し、東京五輪のエース候補として名乗りをあげた先の陸上日本選手権(ヤンマースタジアム長居)では、甘いルックスを兼ね備えるもう一人のスター候補も誕生している。 100m決勝が行われた24日が21歳の誕生日だった多田修平(関西学院大学3年)が10秒16で2位に食い込み、昨夏のリオデジャネイロ五輪代表の桐生祥秀(東洋大学4年)、山縣亮太(セイコーホールディングス)を押しのけて、8月の世界陸上(ロンドン)の個人種目代表に選出された。 関西陸上界では知られた存在だった多田は全国的には無名で、今月9日までは自己ベスト記録が10秒22だった。一躍その名が知れ渡ったのは、追い風参考記録(4.5m)ながら9秒94を弾き出した、今月10日の2017日本学生陸上競技個人選手権大会(平塚スタジアム)の準決勝だった。 公認記録ではないとはいえ、日本国内の競技会で日本人選手が9秒台を出したのは歴史上で初めて。決勝でも10秒08(1.9m)と日本歴代8位タイとなる自己ベストを樹立。勢いをそのまま日本選手権へもち込んだかたちだが、一気にブレークを果たした要因は2つある。 ひとつは天性の素質といってもいい、足の回転数の速さだ。10秒00の男子100m日本記録をもつ日本陸上競技連盟の伊東浩司強化委員長は、1年生だった多田が出場した関西インカレを見て、9秒92の自己ベスト記録をもつアンドレ・ケーソン(アメリカ)と思わずタブらせたという。 「足の回転は当時から綺麗なものがあったし、世界を見渡してみても、あれだけのピッチを押し通せる選手はなかなかいない。僕の現役時代に小さな体で活躍していた、ケーソンばりに足の回転数が速かった」 東大阪市で生まれ育った多田は東大阪市立石切中学校から、2012年にちょうど陸上部が立ち上げられた大阪桐蔭高校に入学。このときも足の回転数を見込まれ、声をかけられた。 「ただ、高校のときはピッチ型ではなく、ストライド型だったんです。グラウンドが土だったので、足が滑ってあまり上手く回らなかったので」 こう振り返る多田が積極的に取り組んだのが、ずらりと並べたミニハードルを徹底して飛び越えていく練習だった。グラウンドへの接地時間を可能な限り短くし、回転をあげていく感覚を養った。多田が続ける。 「それで大学になって環境が変わって、タータンのトラックで練習するようになってから回転数がさらに上がってきて、いまにつながっている感じですね。僕の走りは本当に独特というか、トラックを蹴る動作ではなく跳ねるような感覚で、反発で走っている感じなので」 足の回転数の速さに高校時代の独特な努力が加わり、大学1年生だった2015年の段階で10秒27をマーク。このときから「世界を意識した」と24歳で迎える東京五輪を見すえた多田を、もうひとつの要因が後押しする。この年に立ち上げられた『OSAKA2020夢プログラム』だ。