ボクシング一家の金子佳樹 祖父・繁治さんに続く東日本新人王ならず「これからも王者目指して頑張っていく」
◆プロボクシング ▽第81回東日本新人王決勝 ▽ウエルター級(66・6キロ以下)5回戦 金子佳樹―福永啄巳(3日、東京・後楽園ホール) 第81回東日本新人王決勝戦が行われ、ウエルター級は福永啄巳(青木)が金子佳樹(金子)に判定2―0(48―46、48―46、47―47)で勝利した。金子は1950年の第8回大会でフェザー級(57・1キロ以下)を制した祖父・繁治(しげじ)さんに続く、東日本新人王はならなかった。 戦績は24歳の福永が5勝1敗、26歳の金子が4勝(4KO)1敗。 金子は1回に右ストレートを浴びて、プロ初のダウン。その後は盛り返し、2回には右ストレートで福永をぐらつかせたが、倒すにはいたらなかった。「あせりはなかった。でもセコンドに言われたことを実行できたかと言われれば、できなかった」とうなだれた。細かいパンチを打つこと、自分の距離に入るまでパンチを出さないことなどを指示されたが、我慢できず少し大振りになってしまったことを反省した。 祖父・繁治さんは「魅惑のハードパンチャー」の異名を取り、22歳だった1953年12月にはフェザー級王者ラリー・バターン(フィリピン)をKOで破り、戦後初の東洋(現・東洋太平洋)王者となった。55、56年には国内の最優秀選手賞を受賞した名選手だった。引退後は金子ジムを設立し、後進の指導にあたったが、16年に病気のため亡くなった。 金子ジムは長男である健太郎氏が2代目として後を継ぎ、佳樹の父である次男の賢司氏はジムのマネジャー兼トレーナーという3代に及ぶボクシング一家だ。佳樹本人は小学2年から野球を始め、東海大菅生高2年時にチームはセンバツ出場。3年夏は西東京大会決勝で敗れている。関東学院大でも外野手としてプレーした。卒業後に就職したが、1年余りで退職し、22年4月から家族と何度も話し合い、ボクシングを始めた。「プレッシャーも力に変えるしかない」と練習に励み、デビューから4連続KO勝利を飾ったが、この日、プロ初黒星を喫した。 敗れたが「やり始めておじいちゃんのすごさがわかった。簡単には言えないけれど、おじいちゃんのところまで、できれば超えるところまで行きたい」という思いは変わらない。「新人王になれなくてもチャンピオンになった人はいっぱいいる。チャンピオンになるまでやるだけ」。地域王者、そして、祖父の上を行く世界王座を目指して再出発を図る。
報知新聞社