小林よしひさに聞く体操のお兄さんになったきっかけ「オーディションに付き添いで行った僕が合格。当時は公務員志望でした」
――オーディションに受かったと知ったときはどんな心境でしたか? 電話で合格の知らせを受けたんですけど、震えましたね。とんでもないことになったなと思って。私の前任が弘道お兄さん(佐藤弘道さん)で、大学の体操部の先輩なんです。また、8代目体操のお兄さん(1974年~1987年)の瀬戸口清文さんも先輩で、私が大学生のときにちょうど日体大の教員をされていました。どちらも一瞬で子どもを笑顔にするようなすごい方だということを知っていたので、私もそうならないといけないんだとプレッシャーが一気にドンときましたね。 ■子どもたちは体操のお兄さんの交代を知らなかった!? ――合格の知らせを受けてからどれくらいで収録がスタートしたのですか? 1カ月くらいです。ダンスのレッスンなどもありましたが、あっという間に収録がスタートしたという感じでした。 ――最初の収録はどうでしたか? 緊張しましたね。今のようにSNSが普及していないので、体操のお兄さんが変わることを知らないで来られている方ばかりで。体操も新しくなったので、子どもたちは知らないお兄さんに知らない体操を教えてもらうという「?」な状況でした。でも意外と子どもたちは気にしていなくて、目の前で遊んでくれる人がいればそれでいいんだということがわかってきて。それからはテレビの収録ということはあまり考えず、その場にいる子たちとどう楽しむかということを意識するようになりました。 ――体操のお兄さんになって一番うれしかったことは? 4月に放送が始まって、5月のあたまに初めてのイベントがあったんです。「よしお兄さーん!」と名前を呼ばれてアクロバットをしながら登場するんですけど、そのときにワァーって歓声があがって。体操のお兄さんとして認識してもらえているんだと実感できました。その瞬間の光景は、今でも目に焼き付いています。 ――一番大変だったのは? 健康管理ですね。年間280本くらい収録して、全国各地にイベントにいきますし、春と秋にはNHKホール、夏にはさいたまスーパーアリーナでの公演がありました。休めないので風邪をひくわけにはいかないですし、最初のころは声の出し方がわからなくて、すぐにのどの調子が悪くなってしまって。そのケアは大変でした。