昭和のデートカーの王者はトヨタ「ソアラ」に決定! 女子大生に大人気だったハイソ(死語)なクルマはいつ日本から消えた?
初代日産レパードや初代ホンダ レジェンドも敵わなかった
パワーユニットはレパードが4気筒と6気筒の2本立てだったのに対して、ソアラは全車直列6気筒で、VXは2L OHC/125ps(1G-EU)、2800GTと2800GT-EXTRAは2.8L DOHC/170ps(5M-GEU)ユニットを搭載。ミッションは4ATと5MTが選べた。1985年には2.8Lユニットが6M-GEUの3L DOHC、190psに置き換えられている。2.8L以上もモデルの動力性能がパワフルであったことは言うまでもなく、当時のチューニングベース車の花形の1台となったのも頷ける。 その空前の人気、ハイソカーブームの盛り上がりもさることながら、クルマとしての完成度の高さ、先進技術の投入、ラグジュアリーなインテリア、世界初とも言われたデジタルスピードメーター、バーグラフ式タコメーター、マイコン制御のオートエアコンなどの「未体験ゾーン」となる先進的な装備の充実度、イメージカラーのブロンズに合わせたブロンズガラスの採用もあって、第2回・1981-1982年日本カー・オブ・ザ・イヤーを受賞。 2800GTの価格は275万円(東京地区)と、当時の国産車としては高価だったものの、しかし、まったく手の届かない価格ではなく、多くのソアラに熱狂した若者が親に買ってもらったり(?)、長期ローンを組んでこぞって手に入れたのである。当然、ハイソな女子大生からの人気が沸騰。「泣く女子も笑顔にできる」国産車史上最強のデートカーにもなったのである。なお、当時の国産ライバルとしては、初代日産「レパード」のほか、初代ホンダ「レジェンド ハードトップ」などが存在したが、ソアラ人気に敵うことはなかった。
走りのプロをも唸らせる加速力の持ち主
1983年には後期型となる初のマイナーチェンジが行われ、内外装の変更をはじめ、2L DOHCエンジンを投入。1984年には国産車悲願のドアミラー解禁によって、全車ともに電動調整式ドアミラーが装備されることになった。初代ソアラの最終型となる1985年モデルでは、ソアラの象徴ともいえるエレクトロマルチビジョン(3.0GTリミテッド)も搭載され(1986年デビューのZ20 2代目ソアラに引き継がれた)、初代でもっともソアラらしいソアラ……とも称されていた。 そんなトヨタ ソアラはバブル前夜の1986年にキープコンセプトの2代目に進化。初代の人気から、キープコンセプトは当然のことだが、乗降性を高める画期的なイージーアクセスドアの採用や前後サスペンションをダブルウィッシュボーンとするなど、走りへのこだわりも一層強くなった2代目ソアラは、3L直6ターボエンジンを積む3.0GTリミテッドでは230ps/33.0kg-mの走行性能で海外でも通用する、走りのプロをも唸らせる加速力の持ち主であり、初代同様の大ヒット作となったのである。
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