池江璃花子 幼少期の記憶を振り返って「周りに左右されない性格は、昔から。オリンピックを意識する前は、ごく単純な気持ちで、何の汚れもなく、ただ楽しいから泳いでいた」
◆幼少期の記憶 一番小さい頃の泳いでいる記憶は、5歳の保育園の年長の時に、更衣室の前で「選手コースに上がる」と言われたこと。他にはほとんど記憶がないんですが、とにかくすごく楽しかったのを覚えています。 仲の良い友達がたくさんいて、その子たちと会って、練習前にプールの体操場でワイワイ遊ぶのが楽しみで行っていました。 別に速くなりたいという気持ちは一切なくて。他の習い事はたまにサボったりしていましたが、水泳だけはちゃんと通っていました。 小3の時に初めてジュニアオリンピックカップ(JO)に出ました。よく分からないままでしたが3番でした。JOでメダルを獲ったりして活躍し始めて、周りより自分は速いんだということは自覚していました。 練習していても、絶対に誰にも負けないし、男の子にも勝っていたし。楽しかったですね。コーチの話を聞いていなかったりしてよく怒られましたけど。
◆自分の意見はしっかり伝える 周りに左右されない性格は、昔からでした。 コーチの機嫌を窺いながら泳ぐ選手が周りに結構いて、なんでそういう風になるんだろう?って。私は自分がこうしたいと思ったことを行動に移すし、自分の中では、気持ちが切れたら速くならないという前提がある。泳ぐのは自分だし、速くなる、ならないは自分の問題です。それを誰かに教わったという記憶はないですね。 自分の意見をきちんと述べるところは、多分母の教育もあったり、幼児教室に通っていたからかなと思います。自分の意見を述べないと相手には伝わらない、とずっと言われて育ってきました。 言わなきゃいけないことはちゃんと言って、言わなくてもどうにかなることは言わない。特に水泳に関しては、自分のためになること、自分の体に負担にならないことを優先して発言してきました。 周りには自分の意見を言わない人が本当に多いです。私は、その場で言わずに後から何か言われるのも嫌だし、人伝てに言われるのも嫌いです。 小さい頃、母に言われたことはたくさんあると思うんですが、何も覚えていないんです(笑)。よく喋るし、仲良いんですが、私は他人の言葉が右耳から入って左耳から抜けちゃうタイプなので。 心に刺さっていることがあっても、時間が経つと抜けちゃう。その時に言ってくれる言葉をどんどん取り込んで、それが必要なくなったら、次に変わっていく感じでした。 小さい頃、遊びの一環で、なりたいものをイメージして絵を描くことを幼児教育の講師をしている母に言われてやっていました。 よくオリンピックの表彰台の真ん中にいる絵を描いていたんですが、それも別に本気じゃなかったと思います。イメージするのは自由なので。でもその頃からイメージトレーニングの習慣は体に染みついています。 初めてオリンピックを意識したのは、2015年の世界選手権が終わった後です。それまでオリンピック選手になりたい、と思ってはいなかった。ただシンプルに、同じクラブのライバルに勝ちたいと思って泳いでいました。水泳に関して、ごく単純な気持ちで、何の汚れもなく、ただ楽しいから泳いでいましたね。 ※本稿は、『もう一度、泳ぐ。』(文藝春秋)の一部を再編集したものです
池江璃花子