5人全員が「異例の下積み時代」を経験している…日陰にいた「嵐」が国民的アイドルグループになれた本当の理由
■「興収よりもタレントにとってプラスになること」 ジャニーズが主演する映画といえばテレビ局主導の規模の大きいものやドラマの映画化といったイメージも強かった中で、J StormMovieの作る映画は企画としては異彩を放っていた。 グッズも実際に劇中に出てくるものや、コンセプチュアルなものが多く、他のクリエイターとのコラボレーションも積極的に行っていて、いわゆる映画の物販やアイドルファングッズといったものとは異なる趣のものだった。ジュリーは「全ては自分が観客になった時に観たいものや欲しいことを優先した結果(※4)」と言う。 企画への思い入れは強いはずだが、撮影現場で監督に口出しをするといったことは控えていたようで「アーティストの新しい面を引き出して欲しくてご一緒させて頂くのに、毎日現場で汗をかいていない私が途中から口出しするのは混乱の元です。作品がつまらなかったら企画とスタッフを選んだ私達の責任ですから、そこを決めるまでが私の一番大切なお仕事だと思っています(※5)」と語っている。 「うちが作る映画の場合は、興収よりもタレントにとってプラスになること、彼らのプロフィールになるものを作りたいと思っています」とも言い、「ジャニーズ事務所は厳しいので、赤字にはできない(※6)」としながらも、その発想の起点は「儲ける」ではなかったようだ。 ■映画、演劇で光った藤島ジュリーの手腕 そもそも、初期のJ StormMovieの自主製作映画は公開規模が大きくなく、『ピカ☆ンチ』や『ファンタスティポ』は東京グローブ座1館のみでの公開だった。 堂本剛と国分太一は『ファンタスティポ』に登場するキャラクター「トラジ・ハイジ」として同名の主題歌をリリース。売上40万枚、2005年の売上年間9位に入る大ヒットとなった。 1館でしか公開されない映画のキャラクターとして歌った楽曲が、これだけの大ヒットになるという、ジャニーズが関わるからこそ起こる異例の現象が起きていたのである。 そして、映画プロデューサーとしてだけではなく、演劇プロデューサーとしてもその手腕は光っていた。初期のJ StormMovieの単館上映の舞台となった東京グローブ座は、もともとシェイクスピア作品を中心に上演されていた劇場だったがこれを買収。映画の上映の後、ジュリープロデュースでジャニーズアーティストが主演する演劇を上演することが多くなっていく。 客席数は700程度とそう多くはなく、ジャニー喜多川の得意とするようなフライングやイリュージョン、大掛かりな仕掛けといったものはしづらいが、時に俳優の息遣いまで伝わってくるような、臨場感のあるストレートプレイ向きの劇場だ。