5人全員が「異例の下積み時代」を経験している…日陰にいた「嵐」が国民的アイドルグループになれた本当の理由
■単なるファンムービーに終わらない もちろん、作家性を存分に発揮することは、ファンの方を見ないということを意味しない。「一番身近なファンの方を喜ばせられず、本来関心のない人達の心を惹くのは無理。固定ファンの存在が映画製作へマイナスに働くことはあり得ないと思っています(※7)」と、ジュリーは語っている。事実、J StormMovieには単なるファンムービーに終わらず、ファンも、ファン以外の心も射抜く良質な作品が多く存在していた。 一方、演劇はどれだけ評価が高くても、もとから客席数が決まっていて、しかも売り切れになるケースが多いため、ファン以外に届きづらいという傾向があった。このジレンマのひとつの解決策として機能したのが『劇団演技者。』というテレビ番組である。 『劇団演技者。』は2002年から2006年にかけてフジテレビの深夜枠で放送されていた。小劇場で上演され評価が高かった戯曲を持ってきて、ジャニーズアーティストたちが主演。4話で1公演という設定で、ドラマ化するというよりも、戯曲をテレビで上演するような試みだ。 脚本を手掛けた劇作家は、三浦大輔(みうらだいすけ)に本谷有希子(もとやゆきこ)、前田司郎(まえだしろう)など当時“若手”だったものの、その後、映画や文学など他の業界でも活躍するようになる錚々たる面々。総合演出を手掛けた大根仁(おおねひとし)もその後『モテキ』で映画監督デビューし注目を集めるなど、ジャニーズ俳優と作り手とが共に挑戦し、成長していった枠でもある。小劇場を中心に活躍する舞台俳優たちの貴重なテレビ出演の場にもなっていた。 ■「芸事と芸能界のハイブリッド」を確立した これらのことを鑑みると、藤島ジュリー景子は、もちろんジャニーズ事務所所属のアーティストたちのことも育てていたが、業界全体を育てていたといっても過言ではないだろう。さらにそれは、観客を育てていたことにも繋がる。ジャニーズのアーティストを見るつもりで行ったら、その強いメッセージに衝撃を受けて帰ってきた、といった作品との出会いは多く存在する。 特に10代の女性が本来なら観に行かないような類の作品に、ジャニーズアーティストという接点があったからこそ触れられたことは、人生観の形成にも影響を与えたはずだ。 僕自身も、ジャニーズ主演作品として観に行った作品が面白いと、同じ監督や劇作家の別の作品をジャニーズが出ていなくても観に行く……といったようなことが多々あり、これらの作品がエンターテインメントへの入り口として機能していたようにも感じている。 インディーズの精神を持つ、尖った作品づくりをしているにもかかわらず、興行は保証されるという稀有な状況。時に、その舞台は、小規模の劇場から映画・テレビまで自在に大きさを変える。 つまり、インディーズとメジャーの間を自在に行き来することができるのが藤島ジュリー景子で、その姿は“芸事と芸能界のハイブリッド”といっていいだろう。