米国人にそっぽを向かれた残念な欧州車 文化の違いが生んだ悲劇 22選
トライアンフ・スタッグ
ジョバンニ・ミケロッティ氏(1921-1980)がデザインした美しいボディと芳醇な3.0L V8エンジンを搭載したスタッグは、米国だけでなく、多くの国で大ヒットするはずだった。そうならなかったのは、エンジンのせいでもある。このエンジンは、近年では信頼性の高いものとなっているが、新車当時は冷却システムやシリンダーが非常にデリケートだった。 スタッグはほぼ1970年代を通して生産されていたが、米国への輸入は1971年から1973年のみで、総販売台数は2871台と、現在も英国に現存する台数の半分以下である。とはいえ、同車のファンは少なくなく、トライアンフ・スタッグ・クラブUSAというファンクラブが30年にわたって存続している。
ヴォグゾール・ヴィクター
ヴォグゾールはかなり長い間カナダで存在感を示していたが、米国で販売されたモデルは初代ヴィクターだけで、ポンティアックのディーラーが販売していた。ヴィクターは、人気が高まっていたコンパクトカークラスにおけるGMのライバルとされ、初期の期待は大きかった。 1957年後半の発売から半年で約5万台が売れ、かなり好調だった。しかしその後まもなく、ヴィクターには深刻な耐久性の問題があることが明らかになった。ポンティアック・テンペストやシボレー・コルベアといった強豪のコンパクトカーが導入されたこともあって、1961年通年の販売台数はわずか2万2000台にまで落ち込んだ。
フォルクスワーゲン・フェートン
フォルクスワーゲンの最上級セダン、フェートンは多くの点で優れていたが、世界中の市場で苦戦を強いられた。その理由としてよく言われるのは、高級車に「国民車」のエンブレムを付けると、解消できない葛藤が生まれてしまうというものだ。 欧州での販売台数は控えめだったが、米国での販売台数はさらに低調だった。フォルクスワーゲンは、米国の消費者がフェートンに興味がないことを知り、わずか2年で引き揚げてしまった。
ユーゴ
フィアットの技術をベースにしながら、当時のユーゴスラビアで生産されたユーゴは、一見すると米国の消費者が興味を持つようなクルマではないように思われた。しかし、車両価格が4000ドル弱(現在の価値で1万ドル強/約155万円)と驚くほど安かったことから、一時的に大ヒットを飛ばした。 1985年に米国で発売されてから2年間で、販売台数は5万台近くまで急伸した。しかし、他のクルマと比較してもあまり出来の良いものではないと認識され、台数は急落。ユーゴスラビア紛争によって輸入は停止したが、いずれにせよ、それほど長くは続かなかっただろう。現在40歳以上の米国人にとって、ユーゴという名前はポンコツ車の代名詞だ。
AUTOCAR UK(執筆) 林汰久也(翻訳)