米国人にそっぽを向かれた残念な欧州車 文化の違いが生んだ悲劇 22選
ルノー・ドーフィン
ドーフィンは当初、米国での販売で大成功を収め、年間販売台数はあっという間に10万台を超えた(1950年代後半の輸入車としては素晴らしい数字)。しかし、米国特有の走行距離の長さが災いし、製造品質が不十分であることが明らかになってしまう。中古車価格は暴落し、金融機関も新車購入時の分割払いを拒否するようになった。国中で何万台ものドーフィンが使われず、放置されていた。 その結果生じた収入減によりルノーは大きな痛手を負ったが、その後1961年に発売されたルノー4によって回復を果たした。しかし、4が米国に輸入されることはなかった。
ローバー3500
米国で販売された最後のローバー車は、SD1の3.5L V8バージョンである3500だった。米国の消費者は、V8エンジンと後輪駆動を備えた見栄えの良いクルマに多少の興味を示すと期待されたが、最高出力135psというパワー不足、疑わしい製造品質、消極的なマーケティングによって成功を阻まれた。 3500が正式に販売されたのは1980年と1981年のモデルイヤーのみで、1982年にもほんの少数が売れた程度。総販売台数は1000台を超えたが、お世辞にも立派な数字とは言えない。
スターリング
3500の失敗から6年後、ローバーはめげることなく、米国の消費者に絶対ウケると期待して、同市場向けのブランド名を「スターリング(Sterling)」に変更した。どうやら、少しは効果があったようだ。 スターリングは、欧州では800シリーズとして知られ、ホンダ・レジェンドとも密接な関係にあるモデルを導入し、1987年には1万4000台を販売するなど有望なスタートを切った。しかし、4年も経つ頃には年間3000台を超えることはなくなり、撤退に追い込まれた。率直に言って品質、信頼性ともに劣悪で、兄弟車であるホンダとの対比が、その残念さをさらに際立たせていた。
トライアンフ・メイフラワー
メイフラワーは、英国の自動車業界では異端児だった。1950年代初頭のクルマとしては珍しく、ユニボディ構造を採用し、優れた視界と、後のトライアンフTR2スポーツカーに採用されるほど高性能なフロントサスペンションを備えていた。その反面、スピードは著しく遅く、小型の高級車という設計思想もなかなか浸透しなかった。 英国での評判は今ひとつだったが、それでも米国よりははるかに熱狂的と言える。米国での販売台数は資料により異なるが、広く知られている数字は510台である。