入学後3週間で不登校になった息子「学童で見るテレビが怖い」HSCだから?【沢木ラクダさんの体験記】
【4月28日】〝行きしぶり〟から〝不登校〟に
沢木さん:4月28日(木)。「学校に行きたくない。学校なんてつまんない!」と息子は強く主張するようになってきていました。そのころには、息子の特性の理解も進み、そもそも今の公立小はうちの子には合わないのではないかという気持ちも日に日に増してきていました。 授業のペースが息子には早く、宿題も大変なようでした。息子は、ひらがなや算数などの学習内容を先取りして学んでいませんでした。我が家ではあとで学べる記号や概念より、体験自体を重視してきたからです。幼稚園も似たような方針で、息子自身も文字にさほど関心を示さなかったことから、小学校の学習内容はほぼゼロからのスタートでした。親はあとで追いつくと気にしていなかったのですが、本人は自信を失ってしまったようです。 息子は文字の線を引くのも、塗り絵をするのも、丁寧にやろうとします。宿題も時間がかかるので、1日で終わらせるには親が1時間つきっきりになって追い立てなければいけませんでした。 息子の学校では、授業が開始した初日から、ひらがな練習の宿題が課され、以降も家庭での学習習慣を作るためと、毎日プリントが配られていました。このころはコロナ禍だったせいもあってか、子どもたちのレクリエーションの機会もとても少なく、息子は、「学校の楽しみは、おいしい給食だけ」と言っていました。 沢木さん:公立小が合わないなら、カリキュラムなしのオルタナティブスクールや、近場のフリースクールなどの民間施設を見学しておいたほうがいいのだろうか。でも、まだ前日に半日休んだだけだし、このまま不登校になるわけではないだろう──。このときは楽観していました。 息子は「給食の時間に行く」と午前中は言っていましたが、どうしても気乗りしないようで、結局、この日、学校は休むことになりました。そして、そのまま学校に足が向かなくなり、不登校状態へ……。 〝行きしぶり〟から〝不登校〟に至るまでは、約1ヵ月。あれよあれよという間に発展していきました。息子に元気が戻ったのは、約1年後。居場所の選択肢を一緒に探して、個別の支援が手厚い校内の特別支援学級にたどり着きました。安心して過ごせる場所が見つかったことがとても大きかったです。