歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(下)
漢字・漢籍という物語文化
白川静氏によれば、僕の名前の「若」という字は、若い巫女が両手をあげてエクスタシーに入る姿から来ているという。それを読んで正直少しゾクっとしたのだが、ひとつの字にも物語があるのだと思わされた。漢字は、甲骨文や金文(青銅器)の時代から、呪術にかかわる物語に由来するものが多い。また「漢籍」という言葉は、戸籍を探るように文字や言葉や言いまわしの起源を探るということだろう。漢字文化には、文字と言語の意味が「物語」として積み上げられているのだ。 こういったことは、もともと音の記号であるアルファベットにはありえない。現在の世界のほとんどの国は、フェニキア文字をもととするアルファベットか、独自に開発した表音の記号を文字として使用しているのであって、主要文字として漢字を使用するのは、中国と日本くらいのものである。つまりこの両国は世界の中で、物語の文化を文字として強く維持しているといえる。 16世紀以前の高度化した建築様式が「ユーラシアの帯」に集中していることは何度も述べているが、その東側の端の漢字文化圏は、その西側のアルファベット文化が世界に広がった現在、「契約の文化圏」に対する「物語の文化圏」として、特殊な位置にあるということになる。 つまり日本と中国の近代化は、他国とはまた異なる意味において、物語の文化から契約の文化への転換である。しかしその仕方において、両国がかなり異なった道を歩んでいることは前に述べたとおりである。(「放射する文化」と「受容する文化」――中国との関係で考える日本文化(下)、「THE PAGE」2019年7月13日配信)
マルクス主義という思想物語
資本主義は苛烈な契約の社会システムである。ローマ帝国にキリスト教が広がったように、人々はこの苛烈なシステムに対抗する物語を求める。初期の社会主義が、富裕なブルジョワの子弟から広まったことは知られているが、キリスト教と同様、資本主義の過酷な矛盾に対する反抗と闘争は、社会の下層とともに上層からも拡大した。人間は救済とともに贖罪を求めるものだ。 そして19世紀末から20世紀いっぱい、反資本主義の最強の思想物語となったのがマルクスの『資本論』であり、その唯物弁証法であり、社会主義革命論であった。19世紀がフランス流市民革命の時代であったのに対し、20世紀はソビエト流社会主義革命の時代となったが、結果として、前者が契約の文化を招来したのに対して、後者は、物語の文化を招来したという意味では、方向が異なっていた。 第二次世界大戦におけるドイツや日本などの枢軸国に広がった民族主義も、マルクス主義とは逆方向であったが、これも資本主義という苛烈な契約の文化に対する物語の文化であったといえよう。