歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(下)
中世の物語文化から近代の契約文化へ
先に、ペルシャ湾の事態をめぐる有志連合のことからイラン(ペルシャ)の歴史に触れて古代オリエントにさかのぼり、エジプト文明とメソポタミア文明を比較して「物語の文化」と「契約の文化」という二つの原型を発掘した。そして、人間にも「物語脳」と「契約脳」があるのでは、と考えた。 さらにオリエントから歴史を追って、古代ギリシャは物語の文化であり、古代ローマは契約の文化であり、ローマがキリスト教化したのは「契約」に疲れた人々が「物語」を求めたのだと書いてきた。 「ユーラシアの帯」の中世は、仏教が東に、キリスト教が北に、イスラム教が東西にと拡大する「世界宗教」(A・J・トインビー『歴史の研究』より)の時代であり、「物語文化の時代」であったのだが、やがて強力な「契約文化の時代」がやってくる。近代文明というものだ。 現在のアメリカといくつかの国家との対立の構図には、資本主義に対する社会主義、科学的合理主義に対する宗教的神秘主義という、近代文明史における「契約の文化」と「物語の文化」の葛藤の歴史が見て取れる。
物語から契約へ
もちろん西欧文明も、物語的なところから出発し、次第に契約的なものとなったのである。 その契機はバスコ・ダ・ガマやマゼランらによる外洋航路の発見とグーテンベルクによる活版印刷の発明であろう。世界への視野と、書物の普及によって、「知」の急激な拡大が起こったのであり、それによってその知の質が、神と人の「物語」から、自然と法則の「契約」に変化したのである。 ガリレイが教会によって拘束されたり、ニュートンが神学者でもあったことは、そのプロセスを示している。つまり古代・中世の科学から近代科学への変化は、天才的な個人による「物語」から、専門家による立証と再現が可能な「契約」への変化であったのではないか。
市民革命と帝国主義と資本主義
契約の文化が社会制度として確立されたのは、アメリカの独立とフランス革命を画期とするようだ。中世的な神権と王権の「物語」は、主権者としての国民と執行者としての政治家および官僚との「契約」に置き換えられていく。 また大航海時代から現代のグローバリズムの時代へと、人類は常に、多くの民族と多くの文化が、接触し、衝突し、融合する過程を生きてきた。それはいくつもの物語が共存する世界を、契約によって結びつける過程でもあったのだ。古代メソポタミアでもローマでもそうであったが、契約の文化は、多文化多民族を統合する帝国の拡大力と関係が深い。 したがって、近年の歴史においては常に、すでに近代化された国家が契約の文化として、近代化の途上にある国家が物語の文化として立ち現れる傾向にある。さらに資本主義の発達が、あらゆる文化を契約の呪縛にはめ込んでいく。会社、資本、雇用、賃金、株式、投資といった概念は、契約そのものである。近代化とはいわば契約文化の加速なのだ。